レポート公開|10/18(日) 関西ダンマサークル「読書会」後半(瞑想経典編「「自己」の取扱説明書」1回目)

▼2026年 10/18(日)関西ダンマサークル「読書会」後半のレポート
・サッレーカ経【Sallekha-sutta】の解説

読誦経典「戒め」
https://j-theravada.com/world/sutta/sutta-11/

PDF文庫|戒め 「自己」の取扱説明書
http://j-theravada.com/wp-content/uploads/2018/12/Sallekha-sutta_all.pdf

・これは「見解(diṭṭhi)を捨てられるか?」というテーマの内容
・マハ-チュンダ(Mahā-Cunda/摩訶純陀)長老とお釈迦様の対話
・マハーチュンダ長老はサーリプッタ尊者の実の弟
・兄のサーリプッタ長老が病気により般涅槃したとき、兄を火葬し遺骨と鉢と衣をもってお釈迦様に悲報を伝えに行き、悲報を聞いたアーナンダ長老が動転したエピソードがある「チュンダ経」(『相応部』47-13)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/snmv/sn47/sn47c13.htm
・ちなみに、サーリプッタ尊者の男兄弟4人(Sāriputta, Cunda, Upasena, Revata)と女姉妹3人(Cālā,
Upacālā, Sīsupacālā)が出家し阿羅漢になったといわれている(阿羅漢一族)
・小部経典の長老偈の中にも偈を残している「マハーチュンダ長老偈」(『長老偈』131)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/kn/kn08/kn08c014.htm

・マハーチュンダ長老の質問
「尊師よ、世の中には様々な見解(観念、考え、diṭṭhi)があります。 それらは全て①我 (attan) についてのもの、あるいは②世界 (loka) についてのものに分類されます。尊師よ、比丘がものの由来 (ādi) を考察するならば、これらの見解は捨ててしまえるのではないでしょうか、破棄してしまえるのではないでしょうか?」※〈ものの由来 (ādi) を考察するならば〉他の翻訳と比較すると意味が異なる点がある

・お釈迦様の回答
「チュンダよ、世の中には様々な見解があります。我についてのもの、あるいは世界についてのものです。それらの見解は何かに基づいて生まれてくるでしょう。何かを拠り所にして繁殖するでしょう。時にはその見解を発表したりするでしょう。その時、その何か(見解の原因)に対して『それは私のものではありません (netaṁ mama)。それは私ではありません (nesoham asmi)。それは私の我ではありません (na meso attā)』というように、ありのままに正しい智慧で観るならば、それがこれらの見解を捨てることです。破棄することです」

・今回の読書会では、この二人のやり取りの部分までしか読みませんでした。
・Sallekhaの単語の意味は、削減/損減/厳粛(英語では the higher lifeという意味が出てくる)
・ここでは「気高い生き方」「我々は何に頑張ればよいのか」「何を目標にして生きればよいのか」ということで、戒めという意味を取った。
・結論としては、正しい戒めとは何かということをお釈迦様が説いた

・見解は捨てられるのか
・diṭṭhi=偏見
・diṭṭhiとは、主観/主張/意見/見解
・diṭṭhiとは、①自我/我/霊魂/魂に関するもの、それから②世界/世間に関するもの
・①死後、私はどうなるか?魂は存在するか?など
・②世界に果てはあるか?有限か無限か?など
・偏見に対する仏教の答えは、正見(sammā diṭṭhi)であるとされる
・正見とは、確かな事実
・偏見とは捨てるべき妄想

※ちなみに、正見について(長部経典 第22「大念処経」より)
Katamā ca bhikkhave, sammādiṭṭhi? Yaṃ kho bhikkhave, dukkhe ñāṇaṃ
dukkhasamudaye ñāṇaṃ dukkhanirodhe ñāṇaṃ dukkhanirodhagāminiyā
paṭipadāya ñāṇaṃ, ayaṃ vuccati bhikkhave, sammādiṭṭhi.
では比丘たちよ、いかなるものが正見なのでしょうか?比丘たちよ、およそ、苦に関する智、苦集に関する智、苦滅に関する智、苦滅へ導く道に関する智。比丘たちよ、これが正見といわれます。

・見解を持つ人は、何かの経験や何かの情報やデータに基づき見解を持っている
・持っている見解を強化し確定するため、自分の経験に頼る
・見解を拡大し、自分の生き方をその見解によって変えたりする
・見解に沿って生活したがる
・「ものの由来 (ādi) を考察するならば」この理解が難しく、いろいろ意見があるかも
・見解を作り出すその人の気持ちが、見解の原因です
・要するに、自分の考えは一時的な感情(認識)から生まれたもの
・見解の内容については、この対話では立ち入らない
・どのようにして見解を作ったのか原因を知り、その原因を取り除くことで見解を捨てる
・人間が主観で作り上げた見解は妄想に過ぎない
・自分が持つ見解に関わりを持たないことで、見解に対する執着から解放される
・見解が現れたことが問題ではなく、見解に対して「これは私の意見だ、私の経験だ、私の発見だ、私の智慧だ」と執着していることが問題
・見解に執着している限り、それは心の束縛となる
・執着や束縛が、心の平安や平和を壊す
以上

・一時的な認識(感情、感覚)によって見解を持ってしまう
・見解は常に自分にとっては正しいもの
・自分の持っている見解を否定されたり、蔑ろにされたり、評価されないと、精神的な落ち込みや苦しみが生まれる
・自分の見解を自分自身だと混同、同一視している ※執着していること
・執着を手放すにも苦痛が伴う
・意見を変えることは、自分の考えを無理に捻じ曲げてしまうかのように辛い ※自分が負けたような感じ
・自分が体験して得た考え(生き方)などは根深い
・自分の生き方は、確かに自分の考え方に沿っている

今回の勉強会でも解説の理解について、それぞれの理解があり、話し合いが盛り上がりました(聞いている方が、よく分からなかったかもしれませんが)。参加者の感想として、考え過ぎでは?という感想もあり。思わず笑ってしまう場面もありました。しかし、個人的には見解について、理解が整理でき皆さん話し合え楽しかったです。勉強になりました。ありがとうございました。

レポートについて、何か感想や指摘、あるいは補足や参考資料など、いろいろ教えていただけますと学びになります。おわり

文章:MA
写真:LL


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