10/11(日)の関西瞑想会は80名以上の方が参加され、無事終了いたしました。ご参加、ご協力いただきました皆様、誠にありがとうございました。午後の瞑想指導は20名ほどでした。お釈迦様へのお供えのお花も、有志の方のお布施で飾らせていただきました。ありがとうございました。
さて、午前中のヤサ長老の法話では、ダンマパダ113偈の因縁譚としてあるパターチャーラー(Patācārā /微妙比丘尼)長老尼の物語が紹介されました。
心は自らの期待や希望による執着から苦しみを生み出し、その執着によって打ちのめされ苦悩する。苦しむ心も、その理を目の当たりにし理解すれば癒される。生じている現象の有り様を知ることこそが、苦しみの原因を取り除くことだという内容でした。
Yo ca vassasataṃ jīve; apassaṃ udayavyayaṃ,
Ekāhaṃ jīvitaṃ seyyo; passato udayavyayaṃ.
物事が興りまた消え失せる法則を見ないで百年生きるよりも、物事が興りまた消え失せる法則を見て一日生きることの方がすぐれている。
(Dhammapada 113)
また質疑応答では、慈悲の瞑想に関する質問がいくつかあげられました。「私の嫌いな生命の願い事が叶えられますように」とある「願い事」とは、どういう意味なのか?慈悲の瞑想は理屈ではなく、自分の心にある制限を解除し、慈悲喜捨の気持ちを拡大していくことである。念じるフレーズとして「願い事」とあるが、これは「喜/muditā」にあたる部分です。他者が幸福であることを喜ぶ、自分に妬みがないこと、その心の状態を拡大し育てることが大事なのだと理解しました。「願い事」という単語に焦点を絞り過ぎると、「貪瞋癡の願い事が叶ったら大変」「相手の願い事が叶ったら周りが迷惑になる」など、あれこれ妄想してしまう可能性もありますね。ヤサ長老は「願いとは、貪瞋癡がなくなること」という説明をされていました。
生命は何としてでも生き延びたい/死にたくないという衝動から、自分が「得たい/損したくない」「楽がほしい/苦しみたくない」「幸福になりたい/不幸になりたくない」と必死で、なりふり構わず行為をしているようです。生命なら誰にでもある基本的な期待(願い)がある、私にも自己愛があり期待がある。そこから他者の幸福を喜ぶ心を育てていくのが大事なのだと再確認しました。
●参考資料
Muditā ムディター;喜
https://j-theravada.com/world/keyword/keyword-18/#sect-3
Q&A|本当の「願い事」
https://j-theravada.com/dhamma/q&a/gimon97/
Q&A|慈悲の瞑想について
https://j-theravada.com/dhamma/q&a/gimon69a/
Q&A|渇愛と目標・意欲の関係/生命の願いごととは何か?/「心の成長」に不可欠な条件
https://j-theravada.com/dhamma/q&a/201208qa/
次回の関西瞑想会(ヤサ長老指導)は、11月22日(日)です。どうぞ、ご参加ください。
文章:MA
写真:LL
フォトギャラリー
朝読経・瞑想


朝食


法話




仏陀プージャ・食事のお布施


昼食




報告会


慈悲の瞑想


自主瞑想・クロージング


その他







コメント