11月15日(土)にマーヤーデーヴィー精舎で行われました関西ダンマサークル「みんなでダンマ・ディスカッション」の報告をいたします。ご参加いただきました皆さん、いろいろとご発言いただき、誠にありがとうございました。レポートはテーマについて個人の理解の要約です。参考になれば幸いです。
テーマ「ためる/捨てる」
2025年 11/15(土)関西ダンマサークル「みんなでダンマ・ディスカッション」
・参加者13人
・最初に皆で「慈悲の瞑想」を行いました。
・まず「ためる」について
・命は変化していて不安定であり心配だから
・命を維持するために「ためる(得る)」
・自動的にたまるものもあり、意図的にためるものもある
・ため込むことで同時に執着を増やし、自我を強固にしている
・次に「捨てる」
・命は変化し続けている、変化で成り立っている
・現在の状態を捨てて次の状態にならざるを得ない
・例えば肉体を維持するために食べ物を入れ、不要なものを排泄しなければいけない
・捨てるとは執着しないこと
・仏道は捨てる実践、執着をなくす道
・「ためる/捨てる」には、物質的なことと精神的な二つがある
・物質:お金を貯める/ゴミを捨てる
・精神:悪感情がたまる、慈悲(善感情)を育てる、功徳を積む/与える(布施)生き方する、気づき(不放逸)を実践する
・たまった悪感情は慈悲の実践や五戒を守ることで解毒、処分する
・仏教ではためる現状を良くし、捨てる道を教える
・捨てるとは執着をなくすことで、精神が束縛から解放され自由になり苦しみが減る
・執着がある(価値がある)と捨てれない、捨てることが苦しみになる
・捨てることは因果法則に沿った道
・ためたものに執着し、変化することを否定し拒否するのは、因果法則に逆らうことで苦しみが増える
・「ずっと若々しくいたい」と思ったとしても、現実は年を取り老化してしまう
・「ずっと若々しくいたい」という考えに執着すると苦労した上に、必ず期待は叶わない結果となる
※ちなみに執着する対象は仏教では四種類と分類されている
※執着の対象は、①五欲、②見解、③儀式(戒禁取)、④我論(有身見)
・捨てる道はつらいものではない
・捨てた先に楽があるのではなく、捨てること自体が楽しい
・仏道は、今も楽しく、道中も楽しく、目的に達しても楽しい(初中後善)
※ādikalyāṇaṁ majjhekalyāṇaṁ pariyosānakalyāṇaṁ
・捨てるのが苦しいと感じるのは、何か固定概念(執着)がある証拠
・仏道を農業で喩えると、土を耕すことを楽しく、水をあげることも楽しく、肥料をあげることも、雑草を取ることも、成長を見守ることも楽しい。作物が実り収穫することも楽しい。すべての過程において楽しみだと捉える。
・損をしない生き方
・どんなときでも、何があっても、いま為すことについて充実感を感じる、それが仏教(捨てる道)
・捨てる=手放す(執着しない)
・家族やお金に対する執着を捨てる=家族との縁を切る、誰かにお金をあげる という意味ではない
・家族やお金に対して、これは自分の所有物ではなく、どんどん自分から離れて行ってしまうものである、関係も変わると理解し納得すること
・必要以上にしがみつかないこと、それが執着を捨てるという意味
・手放すとは明るい生き方
以上
皆さんの体験談では、物をためる/捨てるというエピソードが多くでました。または親子関係についてなども話題がありました。古いもの・要らないものを処分するのは、それほど問題ないようです。しかし、気づかぬうちにたまってしまっていたこと、昔々の過去の出来事による相手への恨み(怒りの感情)などが、捨てられずに夢に出てきたというエピソードもありました。失敗や後悔など、確かにたまっているものがありますね。期待というのもたまっているかもしれません。そういうものに対しても悪感情(貪瞋癡)を作らないで、過去の失敗や己の未熟さを認め落ちついていられたら最高ですね。
「捨てる」という実践も、慈悲と気づきの訓練であると理解しています。互いに励まし合い、コツコツと修行に取り組みましょう。
次回、関西ダンマサークルは11月30日(日)「読書会」です。よければご参加ください。
文章:MA
写真:LL







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