報告|11/8(土)自主瞑想と茶話会、11/9(日〉関西瞑想会が無事、終了しました。

土日の関西行事が無事に終了いたしました。皆様、ご参加ご協力いただき、誠にありがとうございました。土曜は晴れていましたが、日曜は一転して朝から雨でした。

11/8(土)自主瞑想と茶話会

土曜の自主瞑想と茶話会は20名が参加し、ヤサ長老とチャラナ比丘を交え、あれこれ聞いてみたいことを質問して答えていただきました。ヤサ長老から前回質問があり回答に自信がないことを、スマナサーラ長老に質問し聞いてきたと短い音声を皆で聞いてみました。「渇愛と煩悩はどうちがうか?」「直観とは智慧か?」という内容でした(うる憶えですが)。渇愛も煩悩であるが、根本的なもので常に心にあるもの(認識として働いている)、煩悩(貪瞋痴)は状況に応じて現れてくるもの(感情)、という解説でした。あと直観は智慧ではなく、妄想が少ない状態の思考・判断ということでした。ただし直観が正解とは限らない、間違うこともあるということです。現象の本質・因果/因縁が観えることが智慧であるということです。短い回答でしたが、面白く勉強になりました。師匠と弟子のお坊さん同士の会話も新鮮でした。私もアホな質問をして、あれやこれやで茶話会は2時間ほととなりました。参加された皆さんは、どんな感想だったでしょうか?

11/9(日)関西瞑想会

日曜の関西瞑想会は、雨でしたが76名が参加されました。午前中のスマナサーラ長老の経典解説では、テーリーガーター(長老尼偈経)の有名なパターチャーラー(Patācārā)阿羅漢の偈文でした。解説ではパターチャーラーの物語がありました。前にも聞いた内容でしたが、ひとつポイントがありました。それから偈文は修行する人への戒め(叱咤激励)の意味であるという解説も、「なるほどな」と思いました。物語が知りたい方は、下記URLを読んでみてください。今回の経典解説のポイントは、「何にも頼れない」ということです。そして実践のキーワードとして「not for me」という瞑想フレーズがありました。どんな現象にも「私のためにあるのではない/私のためのものではない」と観察し、それに納得することで楽になれる(苦しみが減る)。スマナサーラ長老は「ちりひとつもnot for meである」と力強く説明してくれました。私たちはどんな些細なことでも、頼り依存し執着します。財産や家族、この肉体と肉体から得る刺激に依存して、幸福になろう/苦しみを避けよう(生存欲)と必死になっています。しかし、頼ったものにことごとく裏切られます。そして、巨大な苦しみを受け取ります。

パターチャーラーの悲惨は物語は、人間に耐えられる苦しみではないということでした。桁違いの裕福な暮らしから、若い男の体を見て起こした一瞬の性欲によって、不幸が不幸を呼びどん底へと転落する人生。悲しみで気が狂い、女性が裸で彷徨うパターチャーラーがお釈迦様に助けられ、この無常の世界に「頼れるものはない」という真理に気づき正気を取り戻し、それから瞑想し阿羅漢に達します。その阿羅漢に達した場面が偈(詩)になっています。パターチャーラーは寝る前に、足を洗って小屋に入り、灯りの火を消す瞬間に阿羅漢になったと記録されています。為すべきことを為し終えたのですね。そして阿羅漢になった先輩として後輩たちのために、「怠けてはいいけない、心を落ち着けなさい」と修行者への戒めの偈であるという解説でした。なるほど!です。

巻頭法話「生きることは爆弾遊びか」
https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou043/
寺子屋スジャータ「59話 すべて亡くし、裸でさまよう女」
https://sujaata.net/terakoya/post-1691/

午後からは初めの方へヤサ長老の瞑想指導があり、経験者の方は各自で自主瞑想に励みました。食事お布施の準備など、皆様にご協力いただきました。感謝申し上げます。誠にありがとうございました。準備から掃除や後片付けまで、お手伝いいただき助かりました。寒くなってきたので、庭の菩提樹も室内に皆で移動させました。ありがとうございました。

さて、昨日の食事お布施者の芳名をお知らせいたします。皆様、どうぞご確認ください。よろしくお願いいたします。

文章:MA
写真:LL

フォトギャラリー 11/8(土)

フォトギャラリー 11/9(日)

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