出版記念講演会2025 開催中止のお知らせ 詳細

蔵書カタログ

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心配しないこと

ジャッジすることをやめて人生を快適化する。...

貸出可 本棚の色: アルボムッレ・スマナサーラ
パーリ語文法

藤田宏達氏(北海道...

閲覧用 本棚の色: 閲覧棚 ショバ・ラニ・ダシュ
ブッダの聖地 2

インドシナ半島ーカンボジア・ラオス・タイの...

閲覧用 本棚の色: 閲覧棚 アルボムッレ・スマナサーラ/サンガ編集部
道徳ロボット

AIが発達し、善悪の判断ができる「道徳ロボ...

貸出可 本棚の色: ピンク アルボムッレ・スマナサーラ
出家の覚悟

修行とは?悟りとは?生きる意味とは?そして...

貸出可 本棚の色: アルボムッレ・スマナサーラ/南 直哉
がんを治す心の力

がんを克服するため必要なことは、人間の心と...

貸出可 本棚の色: アルボムッレ・スマナサーラ/小井戸 一光
テーラワーダと禅

「テーラワーダ」と「禅」の悟りとその道に違...

貸出可 本棚の色: アルボムッレ・スマナサーラ/藤田 一照
一瞬で心を磨くブッダの教え

「今、この瞬間」に悩みは消せる。毎日が輝き...

貸出可 本棚の色: アルボムッレ・スマナサーラ
スッタニパータ第五章「彼岸道品」 第1巻

日本人になじみ深くも、誤読されがちな最重要...

貸出可 本棚の色: ピンク アルボムッレ・スマナサーラ
慈悲の瞑想フルバージョン

お釈迦様が説いた「慈悲の瞑想」をフルバージ...

貸出可 本棚の色: ピンク アルボムッレ・スマナサーラ

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【開催中止のお知らせ】 1月26日 開催の出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」について

参加をお申し込みされた皆様
この度は出版記念講演会に参加申込みいただき、誠にありがとうございました。

来たる1月26日(日)に開催を予定しておりました出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」ですが、講師であるスマナサーラ長老の体調不良により、誠に勝手ながら開催を中止させていただくことになりました。

すでに予定を立てられ楽しみにされていた皆様には、大変申し訳ないことと、深くお詫び申し上げます。何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

なお、新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」(創元社)は予定通り発売されております。ぜひそちらの本もご覧いただけると幸いです。

出版記念講演会が中止となり、皆様にブッダの智慧をご紹介する機会が減ってしまったことは、私たちにとっても、甚だ残念ではございますが、スマナサーラ長老が伝えるブッダの智慧のお話は、たくさんの動画や書籍で公開されており、心を明るく成長させる学びがたくさん詰まっています。ぜひご覧いただき、おひとりおひとりが心の安らぎと自由を体感していただければ、これほど嬉しいことはありません。

本日は急な開催中止のお知らせ、本当に申し訳ございません。
みなさまのご健勝とご多幸を誓願いたします。

宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会
出版記念講演会 スタッフ一同より
【開催中止のお知らせ】 1月26日 開催の出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」について 参加をお申し込みされた皆様 この度は出版記念講演会に参加申込みいただき、誠にありがとうございました。 来たる1月26日(日)に開催を予定しておりました出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」ですが、講師であるスマナサーラ長老の体調不良により、誠に勝手ながら開催を中止させていただくことになりました。 すでに予定を立てられ楽しみにされていた皆様には、大変申し訳ないことと、深くお詫び申し上げます。何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 なお、新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」(創元社)は予定通り発売されております。ぜひそちらの本もご覧いただけると幸いです。 出版記念講演会が中止となり、皆様にブッダの智慧をご紹介する機会が減ってしまったことは、私たちにとっても、甚だ残念ではございますが、スマナサーラ長老が伝えるブッダの智慧のお話は、たくさんの動画や書籍で公開されており、心を明るく成長させる学びがたくさん詰まっています。ぜひご覧いただき、おひとりおひとりが心の安らぎと自由を体感していただければ、これほど嬉しいことはありません。 本日は急な開催中止のお知らせ、本当に申し訳ございません。 みなさまのご健勝とご多幸を誓願いたします。 宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会 出版記念講演会 スタッフ一同より
4日 ago
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1/10
案内|不安を生きる力に変える

不安があるのは当たり前。人生というものは「いま・ここ」に制約されている。だから難しく考える必要もない。すべきことはシンプル。不安に囚われそうになったら「いま・ここ」という言葉を思い出して

2025年1/26(日)出版記念講演会「不安を生きがいにするワザ」
※要申込み、参加費無料

⭐️詳しくは特設サイトへ
booklaunch-osaka2025.j-theravada.com

#不安を生きがいにするワザ
#ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます
#スマナサーラ長老
#大阪市中央公会堂
#jtba #新刊 #不安 #悩み #生き方
案内|不安を生きる力に変える 不安があるのは当たり前。人生というものは「いま・ここ」に制約されている。だから難しく考える必要もない。すべきことはシンプル。不安に囚われそうになったら「いま・ここ」という言葉を思い出して 2025年1/26(日)出版記念講演会「不安を生きがいにするワザ」 ※要申込み、参加費無料 ⭐️詳しくは特設サイトへ booklaunch-osaka2025.j-theravada.com #不安を生きがいにするワザ #ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます #スマナサーラ長老 #大阪市中央公会堂 #jtba #新刊 #不安 #悩み #生き方
2週間 ago
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2/10
2025年1/16刊行

新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」アルボムッレ・スマナサーラ著(創元社)1,650円

https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=5038
※上記サイトで立ち読みできます

中学生・高校生の不安や悩み事へ親身に回答現代の中学生・高校生から募ったさまざまな質問に、スマナサーラ長老が親身になって語りかける問答集。「失敗した過去を引きずる」「努力が報われない」「病み期が来た」などの個人的な悩みや、勉強の仕方や将来の進路への不安や迷い、「人に好かれたい」といった切実な願望に対して、仏教の視点もまじえて鋭く明解に回答していく。相談できる相手がいない10代の人たちに、人生の貴重なヒントを授ける中高生のための生き方入門。

#jtba 
#スマナサーラ長老
#ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます
#新刊 #不安 #悩み #相談 #生き方
2025年1/16刊行 新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」アルボムッレ・スマナサーラ著(創元社)1,650円 https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=5038 ※上記サイトで立ち読みできます 中学生・高校生の不安や悩み事へ親身に回答現代の中学生・高校生から募ったさまざまな質問に、スマナサーラ長老が親身になって語りかける問答集。「失敗した過去を引きずる」「努力が報われない」「病み期が来た」などの個人的な悩みや、勉強の仕方や将来の進路への不安や迷い、「人に好かれたい」といった切実な願望に対して、仏教の視点もまじえて鋭く明解に回答していく。相談できる相手がいない10代の人たちに、人生の貴重なヒントを授ける中高生のための生き方入門。 #jtba #スマナサーラ長老 #ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます #新刊 #不安 #悩み #相談 #生き方
2週間 ago
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3/10
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継)

【スケジュール】
1月11日(土)
09:00 精舎開門
10:00 読経・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月12日(日)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・瞑想・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月13日(月・祝)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・法話(ネット中継)
20:00 掃除・片づけ・終了

詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。

#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継)

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17:00  読経・法話(ネット中継)
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詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。

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#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
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2週間 ago
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4/10
仏教解説「巻頭法話」
#jtba #仏教 #瞬間 #時間 #不放逸 #真理 #幻想 #スマナサーラ長老

《瞬間と真理》※一部抜粋

★現在を知る修行
 不放逸の生き方とは、「現在に起こる出来事を理解するために努力すること」です。これは修行を要する仕事です。

 例えば、人には一秒の長さの音はいとも簡単に聴こえます。同じ音でも、百分の一秒の音はどんなふうに聴こえるでしょうか? 

 ふつうの耳には百分の一秒の音は認識不可能なので、存在しないことになります。集中力を極度に高めて音を認識すると、音ではなく音波を感じます。音波は音ではないのです。

 音波が耳に触れると、耳にも感覚の波が起きます。その感覚の波をこころが受け取って、「音」という認識を作ります。ゆえに、音とはこころが作る現象なのです。

 外に音が有るか無いかは、確かめられないことです。集中力を高めて音を認識する場合は、「空気の振動をこころが音として認識したのだ」と知るのです。「その〈音〉という認識に執着する価値はない」と理解します。

 音に基づいて様々な感情を作り出す、一般人の捏造(papañca)の流れも起きません。「〈音〉とは因縁の組み合わせで瞬間に起こる出来事に過ぎないのだ」と理解するのです。

 ですから、現在を知ること、真理を知ることが修行の結果になります。これは、俗世間では起こり得ない出来事です。

★不放逸を好む
 ブッダの教えを理解して納得する方々は、幻覚・幻想に閉じ込められて生きる生き方をやめたくなります。現在を知ることに努力するのです。

 そこで「幻覚を破って真理を知りたい」という強い意欲が必要になります。「すべては無常だ」と言っただけで、ただ理解しただけで、こころの闇は消えません。「真理を自分自身で必ず体験してみる」という意欲が起きて、その目的をめざして努力する修行者のことを「不放逸を好む人」と言うのです...

https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou323/
仏教解説「巻頭法話」 #jtba #仏教 #瞬間 #時間 #不放逸 #真理 #幻想 #スマナサーラ長老 《瞬間と真理》※一部抜粋 ★現在を知る修行  不放逸の生き方とは、「現在に起こる出来事を理解するために努力すること」です。これは修行を要する仕事です。  例えば、人には一秒の長さの音はいとも簡単に聴こえます。同じ音でも、百分の一秒の音はどんなふうに聴こえるでしょうか?   ふつうの耳には百分の一秒の音は認識不可能なので、存在しないことになります。集中力を極度に高めて音を認識すると、音ではなく音波を感じます。音波は音ではないのです。  音波が耳に触れると、耳にも感覚の波が起きます。その感覚の波をこころが受け取って、「音」という認識を作ります。ゆえに、音とはこころが作る現象なのです。  外に音が有るか無いかは、確かめられないことです。集中力を高めて音を認識する場合は、「空気の振動をこころが音として認識したのだ」と知るのです。「その〈音〉という認識に執着する価値はない」と理解します。  音に基づいて様々な感情を作り出す、一般人の捏造(papañca)の流れも起きません。「〈音〉とは因縁の組み合わせで瞬間に起こる出来事に過ぎないのだ」と理解するのです。  ですから、現在を知ること、真理を知ることが修行の結果になります。これは、俗世間では起こり得ない出来事です。 ★不放逸を好む  ブッダの教えを理解して納得する方々は、幻覚・幻想に閉じ込められて生きる生き方をやめたくなります。現在を知ることに努力するのです。  そこで「幻覚を破って真理を知りたい」という強い意欲が必要になります。「すべては無常だ」と言っただけで、ただ理解しただけで、こころの闇は消えません。「真理を自分自身で必ず体験してみる」という意欲が起きて、その目的をめざして努力する修行者のことを「不放逸を好む人」と言うのです... https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou323/
3週間 ago
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5/10
仏教コラム「智慧の扉」を紹介
#jtba #仏教 #一期一会 #いま #今 #無執着 #生き方 #スマナサーラ長老

《一期一会》

「一期一会」とは禅の言葉です。この言葉に対応したパーリ語の言葉はありません。パーリ経典でこれに類する言葉は「sabbaṃ pahāya gantabbaṃ」(サッバン パハーヤ ガンタッバン)です。

 意味は「すべて捨てて逝かなくてはならない」ということで、要するに一期一会という意味なのです。すべてを捨てつつ、先へ進んで死ななければならないのです。
 
 我々の人生は、その瞬間だけの人生なのです。すべて一期一会なのです。次の瞬間に、何を持っていくのですか? 何も持ってはいけないのです。持っていけないものを持っていこうと無理をしているから、無量の苦しみが生まれるのです。
 
 少し考えてみてください。この今いる場所(瞬間)の居心地がいいからと言って、それを他へ持っていけますか? 持っていけないでしょう。

 ですから、我々に与えられた時間の中で、その場所で気持ち良く過ごすということだったら、すごく楽しいのです。それで外へ出たら、そのときはその時間を気持ち良く過ごす。歩くときも、道路を自分が気持ち良く使う。電車に乗って座ったら、その時間を気持ち良く使う。次には持っていかないのです。
 
 すべてのことに、そういう生き方をしてほしいのです。人と会っても、その時間だけ。あなたに明日も会いますよと言っても、明日会うのは別人なのです。いろんな経験を重ね、年も取った別人です。自分もまた別人です。ですから、明日は別人同士が会うのです。

 本当は「see you again」というのは成り立たないのです。日本で言う「さよなら」なのです。「さよなら」というのは、「また会いません」という意味なのです。

 今はただのフレーズになっていますが、何か話し合って全部が終了し、最後に「別れましょう」ということです。「また会いましょう」というのは煩悩の世界です。そこには、やはり感情が入っていて、苦しみがあるのです。

「一期一会」これが本物の生き方なのです。これを頭に入れて、子供に会うときでも一期一会、旦那に会うときでも一期一会、友達と会うときでも一期一会です。この瞬間を大事にするのです。

物事に囚われて人生を台無しにしてはいけません。周りに迷惑をかけてはいけません。一切を放っておく(無執着)生き方が本物です。「一期一会」ということで、自由になることを学ぶのです。

これはスローガンではありません。私たちは、一期一会を実行していません。この言葉を理解し憶えて、真剣に実行してみましょう。

https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira094/
仏教コラム「智慧の扉」を紹介 #jtba #仏教 #一期一会 #いま #今 #無執着 #生き方 #スマナサーラ長老 《一期一会》 「一期一会」とは禅の言葉です。この言葉に対応したパーリ語の言葉はありません。パーリ経典でこれに類する言葉は「sabbaṃ pahāya gantabbaṃ」(サッバン パハーヤ ガンタッバン)です。  意味は「すべて捨てて逝かなくてはならない」ということで、要するに一期一会という意味なのです。すべてを捨てつつ、先へ進んで死ななければならないのです。    我々の人生は、その瞬間だけの人生なのです。すべて一期一会なのです。次の瞬間に、何を持っていくのですか? 何も持ってはいけないのです。持っていけないものを持っていこうと無理をしているから、無量の苦しみが生まれるのです。    少し考えてみてください。この今いる場所(瞬間)の居心地がいいからと言って、それを他へ持っていけますか? 持っていけないでしょう。  ですから、我々に与えられた時間の中で、その場所で気持ち良く過ごすということだったら、すごく楽しいのです。それで外へ出たら、そのときはその時間を気持ち良く過ごす。歩くときも、道路を自分が気持ち良く使う。電車に乗って座ったら、その時間を気持ち良く使う。次には持っていかないのです。    すべてのことに、そういう生き方をしてほしいのです。人と会っても、その時間だけ。あなたに明日も会いますよと言っても、明日会うのは別人なのです。いろんな経験を重ね、年も取った別人です。自分もまた別人です。ですから、明日は別人同士が会うのです。  本当は「see you again」というのは成り立たないのです。日本で言う「さよなら」なのです。「さよなら」というのは、「また会いません」という意味なのです。  今はただのフレーズになっていますが、何か話し合って全部が終了し、最後に「別れましょう」ということです。「また会いましょう」というのは煩悩の世界です。そこには、やはり感情が入っていて、苦しみがあるのです。 「一期一会」これが本物の生き方なのです。これを頭に入れて、子供に会うときでも一期一会、旦那に会うときでも一期一会、友達と会うときでも一期一会です。この瞬間を大事にするのです。 物事に囚われて人生を台無しにしてはいけません。周りに迷惑をかけてはいけません。一切を放っておく(無執着)生き方が本物です。「一期一会」ということで、自由になることを学ぶのです。 これはスローガンではありません。私たちは、一期一会を実行していません。この言葉を理解し憶えて、真剣に実行してみましょう。 https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira094/
3週間 ago
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6/10
新年ご挨拶|2025年(令和7年)謹賀新年

Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa.
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼(きょうらい)したてまつる

あけまして おめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

すべての現象・物事・命は、瞬時に変化していくものだと釈迦牟尼仏陀によって説かれています。お釈迦さまの教えを理解し、自ら心を戒め、心を清らかにし、悩み苦しみから解放され、幸福と安穏に達するよう精進いたしましょう。生きとし生けるものに慈悲と労りの気持ちを抱き、自由と平和に過ごせるよう誓願いたします。

Pare sandiṭṭhiparāmāsī ādhānagāhī
duppaṭinissaggī bhavissanti,
mayamettha asandiṭṭhiparāmāsī anādhānagāhī
suppaṭinissaggī bhavissāmāti sallekho karaṇīyo.(Sallekha suttaṃ)

パレー サンディッティパラーマースィー アーダーナガーヒー
ドゥッパティニッサッギー バヴィッサンティ
マヤメッタ アサンディッティパラーマースィー アナーダーナガーヒー
スッパティニッサッギー バヴィッサーマーティ サッレーコー カラニーヨー

他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、
捨てられないでいるが、
我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、
簡単に捨てられるようにと戒めましょう。(「戒め」経より)

皆様が健康で安穏に過ごせますように
仏法僧のご加護がありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
#jtba #仏教 #新年 #2025年 #令和7年 #謹賀新年 #正月 #NewYear #newyear2025
新年ご挨拶|2025年(令和7年)謹賀新年 Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa. 阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼(きょうらい)したてまつる あけまして おめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします すべての現象・物事・命は、瞬時に変化していくものだと釈迦牟尼仏陀によって説かれています。お釈迦さまの教えを理解し、自ら心を戒め、心を清らかにし、悩み苦しみから解放され、幸福と安穏に達するよう精進いたしましょう。生きとし生けるものに慈悲と労りの気持ちを抱き、自由と平和に過ごせるよう誓願いたします。 Pare sandiṭṭhiparāmāsī ādhānagāhī duppaṭinissaggī bhavissanti, mayamettha asandiṭṭhiparāmāsī anādhānagāhī suppaṭinissaggī bhavissāmāti sallekho karaṇīyo.(Sallekha suttaṃ) パレー サンディッティパラーマースィー アーダーナガーヒー ドゥッパティニッサッギー バヴィッサンティ マヤメッタ アサンディッティパラーマースィー アナーダーナガーヒー スッパティニッサッギー バヴィッサーマーティ サッレーコー カラニーヨー 他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、 捨てられないでいるが、 我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、 簡単に捨てられるようにと戒めましょう。(「戒め」経より) 皆様が健康で安穏に過ごせますように 仏法僧のご加護がありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように #jtba #仏教 #新年 #2025年 #令和7年 #謹賀新年 #正月 #NewYear #newyear2025
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7/10
仏教コラム「智慧の扉」を紹介
#jtba #仏教 #世間 #波 #世の常 #スマナサーラ長老

《押し寄せる八つの波》

 この世の中では、常に八つの現象が回転しています。これを波に譬えてみます。荒波・津波に持ち堪えられれば人生は大丈夫でしょう。常に起こっている八種類の波とは、『①得、②損、③名誉、④不名誉、⑤賞賛、⑥非難、⑦楽(幸・成功)⑧苦(不幸・失敗)』【八世間法】です。

 ①と②は損得です。③は、自分の努力によって認められ褒められること。④は逆に認められないこと。⑤は自分の努力にかかわらず社会が勝手に褒めること。⑥は社会が勝手に非難すること。⑦と⑧は文字通りの意味です。この 8つが、ずっと回転しているのです。人間は、なにかしらの波に晒されています。
 
 この波に流される弱い人間だったら、人生を前に進める暇がありません。なぜなら、ひとつの波が過ぎたら、次の波が来て、また次の波が来るからです。しかも、八つの波は順番に来るわけではありません。ですから、波が押し寄せても、ただ立っているしかないのです。「別に、なんてことない」という感じで。

 例えば、「誰かがあなたのことを褒めていますよ」と言われても、「ああそう、まあ別に。人が勝手に言っていることだから」と平然といる。また「誰かがあなたのことを無茶苦茶に非難していますよ」と聞いても、「そうですか、まあそれはその人の考えですからね」と、それで終わりにする。
 
 あるいは、仕事が上手くいって相当な得をする。「世界経済が好調で、今この商品に人気があるから売れているだけで」と舞い上がらない。それで、その品物が売れなくなって損したら、「もうこれは時代遅れですから、他の商品を開発しないとね」それで終わり。いちいち嘆いたり、悲しんだりはしません。いつでも押し寄せる波を乗りこなし立っているのです。
 
 これら八種類の波に対して「当たり前のこと」「世の常」であると耐える能力を育て、身に付けるのです。「生きる」とは、赤絨毯の上を歩くような晴れやかな道のりではないと、しっかりと理解するのです。波は様々に、回転して押し寄せてきます。その中で人生を持ち堪えなければいけないのです。
 
 この八つの波を、憂い・悲しみ・落ち込みの原因にしてはいけません。私たちは「損をせず、得だけしたい」と思っているので、この真理を認めたくないのです。しかし、現実的に次から次へと押し寄せてくる荒波を「当たり前のこと」と認めることが心の成長なのです。

https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira102/
仏教コラム「智慧の扉」を紹介 #jtba #仏教 #世間 #波 #世の常 #スマナサーラ長老 《押し寄せる八つの波》  この世の中では、常に八つの現象が回転しています。これを波に譬えてみます。荒波・津波に持ち堪えられれば人生は大丈夫でしょう。常に起こっている八種類の波とは、『①得、②損、③名誉、④不名誉、⑤賞賛、⑥非難、⑦楽(幸・成功)⑧苦(不幸・失敗)』【八世間法】です。  ①と②は損得です。③は、自分の努力によって認められ褒められること。④は逆に認められないこと。⑤は自分の努力にかかわらず社会が勝手に褒めること。⑥は社会が勝手に非難すること。⑦と⑧は文字通りの意味です。この 8つが、ずっと回転しているのです。人間は、なにかしらの波に晒されています。    この波に流される弱い人間だったら、人生を前に進める暇がありません。なぜなら、ひとつの波が過ぎたら、次の波が来て、また次の波が来るからです。しかも、八つの波は順番に来るわけではありません。ですから、波が押し寄せても、ただ立っているしかないのです。「別に、なんてことない」という感じで。  例えば、「誰かがあなたのことを褒めていますよ」と言われても、「ああそう、まあ別に。人が勝手に言っていることだから」と平然といる。また「誰かがあなたのことを無茶苦茶に非難していますよ」と聞いても、「そうですか、まあそれはその人の考えですからね」と、それで終わりにする。    あるいは、仕事が上手くいって相当な得をする。「世界経済が好調で、今この商品に人気があるから売れているだけで」と舞い上がらない。それで、その品物が売れなくなって損したら、「もうこれは時代遅れですから、他の商品を開発しないとね」それで終わり。いちいち嘆いたり、悲しんだりはしません。いつでも押し寄せる波を乗りこなし立っているのです。    これら八種類の波に対して「当たり前のこと」「世の常」であると耐える能力を育て、身に付けるのです。「生きる」とは、赤絨毯の上を歩くような晴れやかな道のりではないと、しっかりと理解するのです。波は様々に、回転して押し寄せてきます。その中で人生を持ち堪えなければいけないのです。    この八つの波を、憂い・悲しみ・落ち込みの原因にしてはいけません。私たちは「損をせず、得だけしたい」と思っているので、この真理を認めたくないのです。しかし、現実的に次から次へと押し寄せてくる荒波を「当たり前のこと」と認めることが心の成長なのです。 https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira102/
4週間 ago
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8/10
根本仏教講義
《出口のない迷路》※一部抜粋
#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #人生 #迷路 #虚しい #dukkha 

人生という迷路のなかで、私たちはどの方向に行っても壁にぶつかります。もしこの迷路に出口がなかったらどうなるでしょうか?

やがて疲れ果てて倒れてしまうでしょう。人間の生き方というのは、出口のない迷路のなかですごく勇気をもって頑張っているようなものです。頑張ってはいますが、そもそも出口がありませんから、途中で力尽きて倒れてしまうのです。

そこで、だいたいの人はこの出口のない迷路のなかで「怠けてはいけません。何か探しましょう」と必死に頑張っています。他方、全然頑張ろうとしない人もいるのです。

迷路に入ると、こちらに行っても壁があり、あちらに行っても壁があり、どこへ行っても壁にぶつかります。それで「いいや、どこにも行かずにここで座っていよう」と探検をやめ、その場で横になって寝るのです。

さて、どちらが優れていると言えるでしょうか? この状況をどのように評価すればよいのでしょうか?

何もしないで怠けて寝ているよりは頑張ったほうがいいのではないか、と言えないわけでもありませんが、だからといって必死に頑張っても、結局何も得ることはできません。頑張った人は疲れ果てて死にますし、何もしない人は何もしないで横になったまま死にます。

そうすると、何もしない人のほうが楽をしたぶん儲かったのではないか、と考えることもできるでしょう。逆に、頑張った人は怠けずにとにかくチャレンジしたからすごい、とも言えるでしょう。しかし、どちらにしても結局二人とも途中で死ぬのです。出口がないのだから…

https://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-155/
根本仏教講義 《出口のない迷路》※一部抜粋 #jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #人生 #迷路 #虚しい #dukkha 人生という迷路のなかで、私たちはどの方向に行っても壁にぶつかります。もしこの迷路に出口がなかったらどうなるでしょうか? やがて疲れ果てて倒れてしまうでしょう。人間の生き方というのは、出口のない迷路のなかですごく勇気をもって頑張っているようなものです。頑張ってはいますが、そもそも出口がありませんから、途中で力尽きて倒れてしまうのです。 そこで、だいたいの人はこの出口のない迷路のなかで「怠けてはいけません。何か探しましょう」と必死に頑張っています。他方、全然頑張ろうとしない人もいるのです。 迷路に入ると、こちらに行っても壁があり、あちらに行っても壁があり、どこへ行っても壁にぶつかります。それで「いいや、どこにも行かずにここで座っていよう」と探検をやめ、その場で横になって寝るのです。 さて、どちらが優れていると言えるでしょうか? この状況をどのように評価すればよいのでしょうか? 何もしないで怠けて寝ているよりは頑張ったほうがいいのではないか、と言えないわけでもありませんが、だからといって必死に頑張っても、結局何も得ることはできません。頑張った人は疲れ果てて死にますし、何もしない人は何もしないで横になったまま死にます。 そうすると、何もしない人のほうが楽をしたぶん儲かったのではないか、と考えることもできるでしょう。逆に、頑張った人は怠けずにとにかくチャレンジしたからすごい、とも言えるでしょう。しかし、どちらにしても結局二人とも途中で死ぬのです。出口がないのだから… https://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-155/
4週間 ago
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9/10
仏教コラム「智慧の扉」を紹介
#jtba #仏教 #自己 #ファイター #理性 #スマナサーラ長老

《自己と戦うファイター》

 世の中には、様々な「戦い・競争」があります。戦争の場合は人間同士が敵味方に分かれて殺しあいますが、暴力を用いない競争の場合も、ライバルを倒さなければならない。

お釈迦様は、人間だけでなく他の生命を見ても、何らかの戦いをして生きていると発見されました。これは生きる上で基本的なことで、誰も「戦い」から逃げられません。

戦いに勝てば敵・恨みが増え、負ければ悔しさに沈む。結局、勝者も敗者も苦しむのが人生です。ですが、人生を競争なしに生きられるかというと、それも成り立ちません。

そこで、お釈迦様は「百万人に勝つよりも、自己に勝ちなさい。その人は最上の勝利者である」と仰いました。競争をやめることは成り立たない。

しかし、他者と競争したら酷い目に遭う。ならば、挑戦するに値する最高の競争をするがよい。それが自己と戦う道だと説かれたのです。

この戦いの敵は、自分自身です。我々には無始なる過去から無明と渇愛に培われた「本性」という性格があります。お釈迦様は、その「本性」と戦うことを推薦されたのです。
 
では、誰が「本性」と戦うのでしょうか? 自己と戦うための新たな自己、新たなファイターが必要です。仏道とは、「本性」と戦うための新たな自己をつくる道なのです。

ファイターの別名は「理性」です。理性というファイターが心に根づいた状態を、仏教では「信が確立した」と言います。決して、信仰のことではありません。

この理性を作るために、仏道ではあえて渇愛を梯子として使います。「バカよりも利口な方がいいでしょう? 嘘つきはだらしないでしょう? だったら嘘をつかないように、酒を飲まないように頑張りましょう。

優しい人間になるように慈悲の冥想を頑張りましょう。それで幸せになれます。人間関係が円満になります」という具合に、渇愛を刺激するとやる気になります。そうやって、少しずつファイター(理性)を根づかせるのです。

そして、無明と渇愛という「本性」と戦わせるのです。「本性」と戦って、跡形もなく壊した人のことを、「最勝者」と呼びます。生命にとって、これ以上の勝利・自由はないのです。

https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira090/
仏教コラム「智慧の扉」を紹介 #jtba #仏教 #自己 #ファイター #理性 #スマナサーラ長老 《自己と戦うファイター》 世の中には、様々な「戦い・競争」があります。戦争の場合は人間同士が敵味方に分かれて殺しあいますが、暴力を用いない競争の場合も、ライバルを倒さなければならない。 お釈迦様は、人間だけでなく他の生命を見ても、何らかの戦いをして生きていると発見されました。これは生きる上で基本的なことで、誰も「戦い」から逃げられません。 戦いに勝てば敵・恨みが増え、負ければ悔しさに沈む。結局、勝者も敗者も苦しむのが人生です。ですが、人生を競争なしに生きられるかというと、それも成り立ちません。 そこで、お釈迦様は「百万人に勝つよりも、自己に勝ちなさい。その人は最上の勝利者である」と仰いました。競争をやめることは成り立たない。 しかし、他者と競争したら酷い目に遭う。ならば、挑戦するに値する最高の競争をするがよい。それが自己と戦う道だと説かれたのです。 この戦いの敵は、自分自身です。我々には無始なる過去から無明と渇愛に培われた「本性」という性格があります。お釈迦様は、その「本性」と戦うことを推薦されたのです。   では、誰が「本性」と戦うのでしょうか? 自己と戦うための新たな自己、新たなファイターが必要です。仏道とは、「本性」と戦うための新たな自己をつくる道なのです。 ファイターの別名は「理性」です。理性というファイターが心に根づいた状態を、仏教では「信が確立した」と言います。決して、信仰のことではありません。 この理性を作るために、仏道ではあえて渇愛を梯子として使います。「バカよりも利口な方がいいでしょう? 嘘つきはだらしないでしょう? だったら嘘をつかないように、酒を飲まないように頑張りましょう。 優しい人間になるように慈悲の冥想を頑張りましょう。それで幸せになれます。人間関係が円満になります」という具合に、渇愛を刺激するとやる気になります。そうやって、少しずつファイター(理性)を根づかせるのです。 そして、無明と渇愛という「本性」と戦わせるのです。「本性」と戦って、跡形もなく壊した人のことを、「最勝者」と呼びます。生命にとって、これ以上の勝利・自由はないのです。 https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira090/
1か月 ago
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