10月4日(土)に行われた関西ダンマサークル「読書会」レポートです。テキスト「八正道大全」の最終回でした。たくさんの方が参加してくださいました。誠にありがとうございました。個人の要約と感想です。理解の参考になれば幸いです。レポートは長文となります。興味があれば読んでみてください。
※過去のレポート
https://mayadevi.j-theravada.com/20250824-kansai-dhamma-circle-report/
▼2025年 10月4日(土)関西ダンマサークル「読書会」
・参加者19人
・最初に皆で「慈悲の瞑想」を行いました。
・瞑想経典編「八正道大全」四回目
・今回はチャプター⑪から⑮まで読みました
・中部経典 第117「大四十経」の解説
・仏道といわれる実践項目である「八正道」についての解説
・八正道の実践により、智慧が育ち、覚りに至ることことになる
・八正道には二種類あり、ノーマルの八正道と、解脱直前の聖なる八正道がある
・この経典では、解脱直前の八正道について過程が説かれていると理解します
・八正道の実践による結果は、衝動(サンカーラ)が静まっていくこと
・最終的に現象をありのままに観る(智慧を得る)ことで、衝動が消えるらしい
・消える衝動とは「渇愛(生きたい/死にたくないという生存欲)」
・渇愛が消えたら最終ゴール、仏教で教える目的に達したことになる
・渇愛が消えた状態を、覚り/無執着/解脱/涅槃と表現している
・正念と邪念について
・経典では、正念に「聖なる正念」があると書かれていない
・正念はひとつ
・正念とは、正しい観察(気づき)
・邪念とは、間違った観察(気づき)
・正しい観察とは、データに基づき結論を出すこと、事実を知ること
・例としては、科学などの研究や発展など
・邪念とは、データが不十分なのに結論を出すこと、主観や感情で知ること
・例としては、世間の欲に興味がなくなったことを「煩悩がなくなった、だから覚ったんじゃないか?」と勘違いする
・または、「妄想が出てこず心が穏やかになったから、禅定に入ったのではないか?」などもある
・覚りは「思う」ものではない、体感する心の状態である
・覚りに達するために、正念により完全なデータ収集が必要
・データが揃えば、自動的に結論に達することになる
・この経典の最初に出てきた「聖なる正定」とは、また異なる正定の項目が出てくる
・正定と邪定がある
・定=集中力(精神統一)
・正念と正精進により、正しい集中力が生じる
・邪念や邪精進により、間違った集中力が生じる
・邪定の例としては、詐欺師があの手この手で必死で相手を騙し金を巻き上げようとする集中力
・八正道の実践により、自己観察が上手くいくと、心身の変化や流れが観えてき、衝動が静まっていく
・次に正慧(sammāñāṇa)が生まれる ※漢訳では正智/邪智
・智慧はpaññāという単語で、智慧により解脱に達する
・ñāṇaは知識という意味もある
・正慧の意味は、一切が現象であること、無常/苦/無我であると発見すること
・現象があり無常が成り立つ、無常が独立して存在するのではない
・花があると、花が枯れるという無常が成り立つ
・存在しない花が枯れるという話ではない
・「諸行は無常である」と説かれている
・世の中の学説は邪慧
・世の中の知識は基本的に「物がある」という前提に立っている
・意味としては「現象という実体がある/存在する」という理解
・知識は不完全のままであり、常に訂正されて新しくなっていく
・世間の知識には終わりがない
・ある知識では、創造主を推測したり探したり、また固執する
・邪解脱と正解脱について
・正慧ある人に、正解脱(sammāvimutti)が生じる
・正解脱とは、覚りの境地であり涅槃のこと、執着が落ちる
・邪解脱とは、「私は解脱した」と勘違いすること
・何か神秘体験や信じることにより、純粋に勘違いしてしまう
・「神は存在する」という安心感を持つこと
・「梵我一如の境地に達した」と喜びと充実感を持ってしまうなど
・この経典では八正道+正慧+正解脱の「十正道(善)」となっている
・また否定的な八邪道+邪慧+邪解脱の「十邪道(悪)」もあり
・これら実践項目があり、原因と結果という二種から
・例としては、正語を実践することで、正語自体の行為も善であり、正語の結果も善となる
・それぞれ十正道の二十、十邪道二十ということで、合計四十になります
・この内容は、どんな生命にも逆転することはできないと説かれている
・逆転できないというのは、否定できない教え、異論を唱えられない内容、事実ではないと言えない
・もしこの内容を意図的に認めず、あるいは感情的に非難する、または文句を言うべきだと考えると、
・その人は、たちどころにして十の論拠において非難され、自己矛盾に陥り、自分の品位を貶すことになる
・当時の邪見である無因論者(原因はない)や無作用論者(行為に結果はない)や虚無論者(死んだら終わり)でさえも、この内容を非難すべきとは考えなかったそうです
・それはなぜか、この善の内容を否定することで、世間からの非難や攻撃、自分の品位を落とすことを恐れたらしいです
以上
以上が八正道大全の内容でした。ちょっと難しい内容だったかもしれませんが、とりあえず全文を皆で読みました。同じ単語が重複して出てくるので、頭の中がこんがらがったかもしれません。しかし、実践項目としてある八正道の詳しい中身の解説であり、覚る直前の心の状態・過程を説明している内容だったと理解しました。
「聖なる八正道ってなに」と難しく考える必要はなく、実践としては正見・正念・正精進がセットであると理解し、丁寧に感覚を捉え実況中継を続けることが大事だと思っています。そう実践していけば、物事の本質が明確に捉え(区別判断がつき)、正しい理解が現れてくると同時に、衝動が静まり心に落ち着きが生れようです。これからも実践に励みましょう。
勉強会にご参加いただき、いろいろご意見をあげてくださった皆様、一緒に仏教を学べ楽しかったです!ありがとうございました
●次回、関西ダンマサークル自主勉強会の日程
11月15日(土)13時より みんなでダンマ・ディスカッション
11月30日(日)13時より 読書会 ※次回テキストは「お釈迦様のお見舞い」にしようかと検討しています。17年前の施本
文章:MA
写真:LL


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