4月の関西ダンマサークル「読書会」レポート(要約と感想)を送ります。よければご覧になってみてください。何かの参考になれば幸いです。参加者は14名でした。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
▼4/28関西ダンマサークル「読書会」レポート
・最初に慈悲の瞑想をしました。
・前回から読み進めている「沙門果経」の続き
・テキストは経典解説シリーズ「沙門果経」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0BTPHTS9B/jtheravada-22/
・六師外道のサンジャヤ師の教え不可知論者の解説
・「詭弁」とも言われる
・認識論として、人間に認識することが可能なのか?というテーマがある
・興味のある人は、テキストを読んでみてください。
・第三部「第一の沙門の果報」について
・一般的に人々は宗教からご利益を欲しがる
・宗教のご利益は、無病息災/病気平癒/商売繁盛/家内安全/合格祈願/学業成就/交通安全/金運上昇/恋愛成就/安産祈願などなど
・現世利益
・その共通点は「心の安らぎ」、苦しみをなくしたい
・アジャータサットゥ王は、沙門の果報とは何か?と尋ねる
・王様は目に見える利益・結果を知りたい
・お釈迦様が第一の果報と説明する
・お釈迦様の喩え話
・ある召使い(奴隷)が、毎日毎日仕事でこき使われ、ヘトヘトになっている。自分の時間はなく、主人(王)の顔色を常に窺い生きなければいけない。
・その召使いが自分の主人を見て「私の主人も人間である。私と同じ人間なのに召使いの私とはまるで違って、神のように贅沢で優雅に暮らしている。私とはまったく違う人生だ」と思う。
・その召使いが「私も功徳を積めば、主人のようになれるだろう。よし功徳を積むために出家しよう」と思い立つ。
・召使いが出家して、身口意の行為を防護して住み、質素な生活に満足して、気づきを保ち心の平安(遠離)を楽しむ。
・そこでお釈迦様が王様に問います。「もしあなたの召使いが出家し、正しく熱心に修行生活しているなら、王様あなたはその召使いを還俗させて、自分の元に連れ戻しますか?」と訊きます。
・王様は「もし正しく熱心に修行している人であるなら、私はその召使いを連れ戻しません。むしろ応援し、その方に私から挨拶し、生活に足りないものがあれば支援し守ってあげるでしょう」と答えます。
・お釈迦様は、その王様の答えを聞いて説明します。
・「王様、それが目に見える第一の沙門の果報です」と示します。
・意味は、立場が逆転する/入れ替わるということです。
・当時のカースト(身分階級)は絶対的なもので、身分は生まれながらに決まっているとされ、途中で身分が変わるということはあり得ないことだったようです。
・ましてや王族と奴隷の立場が入れ替わる、王が奴隷を敬うということは、天地が逆転するぐらいあり得ないこと。
・しかし出家し、正しく真剣真面目に修行生活するばらば、人の身分は関係なくなり、相手の身分がどうであろうと尊敬される対象となる。
・つまり立場や身分が変わってしまう、これが第一の沙門の果報です。
・続けてお釈迦様は同じ喩え話から、第二の沙門の果報を説明します。
・第二の果報とは、立場が変わる上に尊敬されること(尊敬の対象)になるということです。
・第一の果報と重なるかもしれませんが、王様が奴隷を尊敬することはこれもまたあり得ません。
・奴隷が王様を尊敬することは、それは絶対的であり強制的です。従わなければ命さえいともたやすく奪われてしてしまう可能性があるほどです。
・それが出家し、正しく真剣真面目に修行生活するならば、王様はかつて自分の奴隷だった人を尊敬し、その奴隷に施しさえする気持ちになる。
・これもまた当時の常識からすると、あり得ないことだったようです。
・お釈迦様が王様に目に見える沙門の果報を二つ説明しました。
・王様は「なるほど、確かにそうだ」と思ったようです。
・この部分でスマナサーラ長老は、注意書きをされています。
・沙門になる、出家するということは、単に形だけではない。
・頭を剃って、僧衣をまとえば尊敬されるというわけではない。
・出家した人が、自分の身口意の行為を守り/コントールし、心を清らかにするため務めていること。
・俗世間から離れて、離れたことを楽しんでいること。
・「尊敬され特別な自分でありたい(自我)」という承認欲求/インチキ/見せかけ/詐欺ではないこと。
・本物の出家でなければいけないとのことです。さすが厳しいですね。
・お釈迦様は王様が理解し関心を示していることから、「さらに優れた沙門の果報がある」と言って仏教の内容を解説されていきます。
・さらに優れた果報は、現世において示せるとあります。
・仏教の中身である智慧の世界を解説が始まります。
・お釈迦様は、自らが如来・ブッダ・阿羅漢であると公言しています。
・そして人生の目的は、人格完成で終了するのだと説かれています。
・仏教では目的が明確です。それは心を清らかにして覚りに達すること。
・解脱が最終的なゴールであり、目的です。
・それ以外のゴール・目的には終わりがありません。
・ですから、仏教では本業は自分の心を見て磨くこと(自己観察)。
・自己観察以外は副業(俗世間は副業)。
・副業を本業だと勘違いしてはいけない。
・本業を完成させた人がブッダであり阿羅漢。
・出家とは本業のプロ、生き方を変えた人。
・戒律が本業をする人を守ってくれる。
・出家という生き方の厳しさ(出家のあり方)について説明されているとりあえず、ここまで。
以上の部分を読み進めました。次に小戒・中戒・大戒と戒律の話が続いていきます。内容として難しかったですが、基本としては皆が宗教や仏教に求めているのは、集約すれば「心の安らぎ(苦しみをなくす)」ということ。仏教にはその御利益がある。その御利益を得たいのであれば、本業(自己観察・心を清らかにする)をしっかり行うことだと理解しました。今後、本業の実践内容とその結果についての解説が続きます。
●参考テキスト
「沙門果経」日本語訳(光明寺経蔵より)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn02/dn02c00.html
次回、関西ダンマサークルは5月18日(土)13時からの予定です。もし興味がありましたら、どうぞご参加ください。お待ちしています。
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