ニュース

インスタグラム

お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌

最新号パティパダー2月号が発送されました。

今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱

智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。

その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。

この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように
#jtba 
#パティパダー 
#仏教 
#初期仏教
#上座仏教
#テーラワーダ
#buddhism 
#雑誌 
#専門誌
お知らせ|新刊「パティパダー2月号」仏教雑誌 最新号パティパダー2月号が発送されました。 今月の巻頭法話「底知れぬ湖」解脱のこころ、「こころ」とはどんなものか詳しく解説されています。心とは認識能力・作用といわれています。その過程で煩悩が生まれ、苦しみを作ってしまうようです😱 智慧の扉は「ストップモーションとスローモーション」というタイトルで、自己観察における必須要素です。 その他の連載は、根本仏教講義「私とは誰か?④」、あなたとの対話「無為を楽しむ?」「ブッダが教える素直さとは?」、翻訳は新連載でアチャン・チャー「四聖諦①」楽しみです😊、初期仏教のエッセンス特別編「小空性経を読む⑤」空性の実践とはどういうことか?という解説が続きます。YouTube 法話ガイドもあります。 この仏教雑誌(機関誌)は、会員送られる非売品ですが、当協会の精舎や有縁寺院で無料配布もしています。ぜひ一度、手に取って見てください。協会HPからオンライン入会もできます。 生きとし生けるものが 幸せでありますように #jtba #パティパダー #仏教 #初期仏教 #上座仏教 #テーラワーダ #buddhism #雑誌 #専門誌
4日 ago
View on Instagram |
1/10
【開催中止のお知らせ】 1月26日 開催の出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」について

参加をお申し込みされた皆様
この度は出版記念講演会に参加申込みいただき、誠にありがとうございました。

来たる1月26日(日)に開催を予定しておりました出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」ですが、講師であるスマナサーラ長老の体調不良により、誠に勝手ながら開催を中止させていただくことになりました。

すでに予定を立てられ楽しみにされていた皆様には、大変申し訳ないことと、深くお詫び申し上げます。何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

なお、新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」(創元社)は予定通り発売されております。ぜひそちらの本もご覧いただけると幸いです。

出版記念講演会が中止となり、皆様にブッダの智慧をご紹介する機会が減ってしまったことは、私たちにとっても、甚だ残念ではございますが、スマナサーラ長老が伝えるブッダの智慧のお話は、たくさんの動画や書籍で公開されており、心を明るく成長させる学びがたくさん詰まっています。ぜひご覧いただき、おひとりおひとりが心の安らぎと自由を体感していただければ、これほど嬉しいことはありません。

本日は急な開催中止のお知らせ、本当に申し訳ございません。
みなさまのご健勝とご多幸を誓願いたします。

宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会
出版記念講演会 スタッフ一同より
【開催中止のお知らせ】 1月26日 開催の出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」について 参加をお申し込みされた皆様 この度は出版記念講演会に参加申込みいただき、誠にありがとうございました。 来たる1月26日(日)に開催を予定しておりました出版記念講演会2025「不安を生きがいにするワザ」ですが、講師であるスマナサーラ長老の体調不良により、誠に勝手ながら開催を中止させていただくことになりました。 すでに予定を立てられ楽しみにされていた皆様には、大変申し訳ないことと、深くお詫び申し上げます。何卒ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 なお、新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」(創元社)は予定通り発売されております。ぜひそちらの本もご覧いただけると幸いです。 出版記念講演会が中止となり、皆様にブッダの智慧をご紹介する機会が減ってしまったことは、私たちにとっても、甚だ残念ではございますが、スマナサーラ長老が伝えるブッダの智慧のお話は、たくさんの動画や書籍で公開されており、心を明るく成長させる学びがたくさん詰まっています。ぜひご覧いただき、おひとりおひとりが心の安らぎと自由を体感していただければ、これほど嬉しいことはありません。 本日は急な開催中止のお知らせ、本当に申し訳ございません。 みなさまのご健勝とご多幸を誓願いたします。 宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会 出版記念講演会 スタッフ一同より
1週間 ago
View on Instagram |
2/10
案内|不安を生きる力に変える

不安があるのは当たり前。人生というものは「いま・ここ」に制約されている。だから難しく考える必要もない。すべきことはシンプル。不安に囚われそうになったら「いま・ここ」という言葉を思い出して

2025年1/26(日)出版記念講演会「不安を生きがいにするワザ」
※要申込み、参加費無料

⭐️詳しくは特設サイトへ
booklaunch-osaka2025.j-theravada.com

#不安を生きがいにするワザ
#ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます
#スマナサーラ長老
#大阪市中央公会堂
#jtba #新刊 #不安 #悩み #生き方
案内|不安を生きる力に変える 不安があるのは当たり前。人生というものは「いま・ここ」に制約されている。だから難しく考える必要もない。すべきことはシンプル。不安に囚われそうになったら「いま・ここ」という言葉を思い出して 2025年1/26(日)出版記念講演会「不安を生きがいにするワザ」 ※要申込み、参加費無料 ⭐️詳しくは特設サイトへ booklaunch-osaka2025.j-theravada.com #不安を生きがいにするワザ #ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます #スマナサーラ長老 #大阪市中央公会堂 #jtba #新刊 #不安 #悩み #生き方
2週間 ago
View on Instagram |
3/10
2025年1/16刊行

新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」アルボムッレ・スマナサーラ著(創元社)1,650円

https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=5038
※上記サイトで立ち読みできます

中学生・高校生の不安や悩み事へ親身に回答現代の中学生・高校生から募ったさまざまな質問に、スマナサーラ長老が親身になって語りかける問答集。「失敗した過去を引きずる」「努力が報われない」「病み期が来た」などの個人的な悩みや、勉強の仕方や将来の進路への不安や迷い、「人に好かれたい」といった切実な願望に対して、仏教の視点もまじえて鋭く明解に回答していく。相談できる相手がいない10代の人たちに、人生の貴重なヒントを授ける中高生のための生き方入門。

#jtba 
#スマナサーラ長老
#ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます
#新刊 #不安 #悩み #相談 #生き方
2025年1/16刊行 新刊「ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます」アルボムッレ・スマナサーラ著(創元社)1,650円 https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=5038 ※上記サイトで立ち読みできます 中学生・高校生の不安や悩み事へ親身に回答現代の中学生・高校生から募ったさまざまな質問に、スマナサーラ長老が親身になって語りかける問答集。「失敗した過去を引きずる」「努力が報われない」「病み期が来た」などの個人的な悩みや、勉強の仕方や将来の進路への不安や迷い、「人に好かれたい」といった切実な願望に対して、仏教の視点もまじえて鋭く明解に回答していく。相談できる相手がいない10代の人たちに、人生の貴重なヒントを授ける中高生のための生き方入門。 #jtba #スマナサーラ長老 #ブッダの智慧で中高生の悩みに答えます #新刊 #不安 #悩み #相談 #生き方
3週間 ago
View on Instagram |
4/10
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継)

【スケジュール】
1月11日(土)
09:00 精舎開門
10:00 読経・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月12日(日)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・瞑想・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月13日(月・祝)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・法話(ネット中継)
20:00 掃除・片づけ・終了

詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。

#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継)

【スケジュール】
1月11日(土)
09:00 精舎開門
10:00 読経・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月12日(日)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・瞑想・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月13日(月・祝)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・法話(ネット中継)
20:00 掃除・片づけ・終了

詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。

#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継)

【スケジュール】
1月11日(土)
09:00 精舎開門
10:00 読経・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月12日(日)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・瞑想・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月13日(月・祝)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・法話(ネット中継)
20:00 掃除・片づけ・終了

詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。

#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継)

【スケジュール】
1月11日(土)
09:00 精舎開門
10:00 読経・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月12日(日)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・瞑想・法話(ネット中継)
21:30 精舎閉門

1月13日(月・祝)
05:30 精舎開門
09:00 読経・瞑想(ネット中継)
17:00  読経・法話(ネット中継)
20:00 掃除・片づけ・終了

詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。

#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
お知らせ|予約なしの日帰り参加|1月11日(土)〜1月13日(月・祝) マーヤーデーヴィー精舎ネット中継瞑想会(東京の北とぴあからの中継) 【スケジュール】 1月11日(土) 09:00 精舎開門 10:00 読経・法話(ネット中継) 21:30 精舎閉門 1月12日(日) 05:30 精舎開門 09:00 読経・瞑想(ネット中継) 17:00 読経・瞑想・法話(ネット中継) 21:30 精舎閉門 1月13日(月・祝) 05:30 精舎開門 09:00 読経・瞑想(ネット中継) 17:00 読経・法話(ネット中継) 20:00 掃除・片づけ・終了 詳細はマーヤーデーヴィー精舎HPをご参照ください。 #jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #瞑想 #ヴィパッサナー #マーヤーデーヴィー精舎
3週間 ago
View on Instagram |
5/10
仏教解説「巻頭法話」
#jtba #仏教 #瞬間 #時間 #不放逸 #真理 #幻想 #スマナサーラ長老

《瞬間と真理》※一部抜粋

★現在を知る修行
 不放逸の生き方とは、「現在に起こる出来事を理解するために努力すること」です。これは修行を要する仕事です。

 例えば、人には一秒の長さの音はいとも簡単に聴こえます。同じ音でも、百分の一秒の音はどんなふうに聴こえるでしょうか? 

 ふつうの耳には百分の一秒の音は認識不可能なので、存在しないことになります。集中力を極度に高めて音を認識すると、音ではなく音波を感じます。音波は音ではないのです。

 音波が耳に触れると、耳にも感覚の波が起きます。その感覚の波をこころが受け取って、「音」という認識を作ります。ゆえに、音とはこころが作る現象なのです。

 外に音が有るか無いかは、確かめられないことです。集中力を高めて音を認識する場合は、「空気の振動をこころが音として認識したのだ」と知るのです。「その〈音〉という認識に執着する価値はない」と理解します。

 音に基づいて様々な感情を作り出す、一般人の捏造(papañca)の流れも起きません。「〈音〉とは因縁の組み合わせで瞬間に起こる出来事に過ぎないのだ」と理解するのです。

 ですから、現在を知ること、真理を知ることが修行の結果になります。これは、俗世間では起こり得ない出来事です。

★不放逸を好む
 ブッダの教えを理解して納得する方々は、幻覚・幻想に閉じ込められて生きる生き方をやめたくなります。現在を知ることに努力するのです。

 そこで「幻覚を破って真理を知りたい」という強い意欲が必要になります。「すべては無常だ」と言っただけで、ただ理解しただけで、こころの闇は消えません。「真理を自分自身で必ず体験してみる」という意欲が起きて、その目的をめざして努力する修行者のことを「不放逸を好む人」と言うのです...

https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou323/
仏教解説「巻頭法話」 #jtba #仏教 #瞬間 #時間 #不放逸 #真理 #幻想 #スマナサーラ長老 《瞬間と真理》※一部抜粋 ★現在を知る修行  不放逸の生き方とは、「現在に起こる出来事を理解するために努力すること」です。これは修行を要する仕事です。  例えば、人には一秒の長さの音はいとも簡単に聴こえます。同じ音でも、百分の一秒の音はどんなふうに聴こえるでしょうか?   ふつうの耳には百分の一秒の音は認識不可能なので、存在しないことになります。集中力を極度に高めて音を認識すると、音ではなく音波を感じます。音波は音ではないのです。  音波が耳に触れると、耳にも感覚の波が起きます。その感覚の波をこころが受け取って、「音」という認識を作ります。ゆえに、音とはこころが作る現象なのです。  外に音が有るか無いかは、確かめられないことです。集中力を高めて音を認識する場合は、「空気の振動をこころが音として認識したのだ」と知るのです。「その〈音〉という認識に執着する価値はない」と理解します。  音に基づいて様々な感情を作り出す、一般人の捏造(papañca)の流れも起きません。「〈音〉とは因縁の組み合わせで瞬間に起こる出来事に過ぎないのだ」と理解するのです。  ですから、現在を知ること、真理を知ることが修行の結果になります。これは、俗世間では起こり得ない出来事です。 ★不放逸を好む  ブッダの教えを理解して納得する方々は、幻覚・幻想に閉じ込められて生きる生き方をやめたくなります。現在を知ることに努力するのです。  そこで「幻覚を破って真理を知りたい」という強い意欲が必要になります。「すべては無常だ」と言っただけで、ただ理解しただけで、こころの闇は消えません。「真理を自分自身で必ず体験してみる」という意欲が起きて、その目的をめざして努力する修行者のことを「不放逸を好む人」と言うのです... https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou323/
4週間 ago
View on Instagram |
6/10
仏教コラム「智慧の扉」を紹介
#jtba #仏教 #一期一会 #いま #今 #無執着 #生き方 #スマナサーラ長老

《一期一会》

「一期一会」とは禅の言葉です。この言葉に対応したパーリ語の言葉はありません。パーリ経典でこれに類する言葉は「sabbaṃ pahāya gantabbaṃ」(サッバン パハーヤ ガンタッバン)です。

 意味は「すべて捨てて逝かなくてはならない」ということで、要するに一期一会という意味なのです。すべてを捨てつつ、先へ進んで死ななければならないのです。
 
 我々の人生は、その瞬間だけの人生なのです。すべて一期一会なのです。次の瞬間に、何を持っていくのですか? 何も持ってはいけないのです。持っていけないものを持っていこうと無理をしているから、無量の苦しみが生まれるのです。
 
 少し考えてみてください。この今いる場所(瞬間)の居心地がいいからと言って、それを他へ持っていけますか? 持っていけないでしょう。

 ですから、我々に与えられた時間の中で、その場所で気持ち良く過ごすということだったら、すごく楽しいのです。それで外へ出たら、そのときはその時間を気持ち良く過ごす。歩くときも、道路を自分が気持ち良く使う。電車に乗って座ったら、その時間を気持ち良く使う。次には持っていかないのです。
 
 すべてのことに、そういう生き方をしてほしいのです。人と会っても、その時間だけ。あなたに明日も会いますよと言っても、明日会うのは別人なのです。いろんな経験を重ね、年も取った別人です。自分もまた別人です。ですから、明日は別人同士が会うのです。

 本当は「see you again」というのは成り立たないのです。日本で言う「さよなら」なのです。「さよなら」というのは、「また会いません」という意味なのです。

 今はただのフレーズになっていますが、何か話し合って全部が終了し、最後に「別れましょう」ということです。「また会いましょう」というのは煩悩の世界です。そこには、やはり感情が入っていて、苦しみがあるのです。

「一期一会」これが本物の生き方なのです。これを頭に入れて、子供に会うときでも一期一会、旦那に会うときでも一期一会、友達と会うときでも一期一会です。この瞬間を大事にするのです。

物事に囚われて人生を台無しにしてはいけません。周りに迷惑をかけてはいけません。一切を放っておく(無執着)生き方が本物です。「一期一会」ということで、自由になることを学ぶのです。

これはスローガンではありません。私たちは、一期一会を実行していません。この言葉を理解し憶えて、真剣に実行してみましょう。

https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira094/
仏教コラム「智慧の扉」を紹介 #jtba #仏教 #一期一会 #いま #今 #無執着 #生き方 #スマナサーラ長老 《一期一会》 「一期一会」とは禅の言葉です。この言葉に対応したパーリ語の言葉はありません。パーリ経典でこれに類する言葉は「sabbaṃ pahāya gantabbaṃ」(サッバン パハーヤ ガンタッバン)です。  意味は「すべて捨てて逝かなくてはならない」ということで、要するに一期一会という意味なのです。すべてを捨てつつ、先へ進んで死ななければならないのです。    我々の人生は、その瞬間だけの人生なのです。すべて一期一会なのです。次の瞬間に、何を持っていくのですか? 何も持ってはいけないのです。持っていけないものを持っていこうと無理をしているから、無量の苦しみが生まれるのです。    少し考えてみてください。この今いる場所(瞬間)の居心地がいいからと言って、それを他へ持っていけますか? 持っていけないでしょう。  ですから、我々に与えられた時間の中で、その場所で気持ち良く過ごすということだったら、すごく楽しいのです。それで外へ出たら、そのときはその時間を気持ち良く過ごす。歩くときも、道路を自分が気持ち良く使う。電車に乗って座ったら、その時間を気持ち良く使う。次には持っていかないのです。    すべてのことに、そういう生き方をしてほしいのです。人と会っても、その時間だけ。あなたに明日も会いますよと言っても、明日会うのは別人なのです。いろんな経験を重ね、年も取った別人です。自分もまた別人です。ですから、明日は別人同士が会うのです。  本当は「see you again」というのは成り立たないのです。日本で言う「さよなら」なのです。「さよなら」というのは、「また会いません」という意味なのです。  今はただのフレーズになっていますが、何か話し合って全部が終了し、最後に「別れましょう」ということです。「また会いましょう」というのは煩悩の世界です。そこには、やはり感情が入っていて、苦しみがあるのです。 「一期一会」これが本物の生き方なのです。これを頭に入れて、子供に会うときでも一期一会、旦那に会うときでも一期一会、友達と会うときでも一期一会です。この瞬間を大事にするのです。 物事に囚われて人生を台無しにしてはいけません。周りに迷惑をかけてはいけません。一切を放っておく(無執着)生き方が本物です。「一期一会」ということで、自由になることを学ぶのです。 これはスローガンではありません。私たちは、一期一会を実行していません。この言葉を理解し憶えて、真剣に実行してみましょう。 https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira094/
4週間 ago
View on Instagram |
7/10
新年ご挨拶|2025年(令和7年)謹賀新年

Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa.
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼(きょうらい)したてまつる

あけまして おめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

すべての現象・物事・命は、瞬時に変化していくものだと釈迦牟尼仏陀によって説かれています。お釈迦さまの教えを理解し、自ら心を戒め、心を清らかにし、悩み苦しみから解放され、幸福と安穏に達するよう精進いたしましょう。生きとし生けるものに慈悲と労りの気持ちを抱き、自由と平和に過ごせるよう誓願いたします。

Pare sandiṭṭhiparāmāsī ādhānagāhī
duppaṭinissaggī bhavissanti,
mayamettha asandiṭṭhiparāmāsī anādhānagāhī
suppaṭinissaggī bhavissāmāti sallekho karaṇīyo.(Sallekha suttaṃ)

パレー サンディッティパラーマースィー アーダーナガーヒー
ドゥッパティニッサッギー バヴィッサンティ
マヤメッタ アサンディッティパラーマースィー アナーダーナガーヒー
スッパティニッサッギー バヴィッサーマーティ サッレーコー カラニーヨー

他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、
捨てられないでいるが、
我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、
簡単に捨てられるようにと戒めましょう。(「戒め」経より)

皆様が健康で安穏に過ごせますように
仏法僧のご加護がありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
#jtba #仏教 #新年 #2025年 #令和7年 #謹賀新年 #正月 #NewYear #newyear2025
新年ご挨拶|2025年(令和7年)謹賀新年 Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa. 阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼(きょうらい)したてまつる あけまして おめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします すべての現象・物事・命は、瞬時に変化していくものだと釈迦牟尼仏陀によって説かれています。お釈迦さまの教えを理解し、自ら心を戒め、心を清らかにし、悩み苦しみから解放され、幸福と安穏に達するよう精進いたしましょう。生きとし生けるものに慈悲と労りの気持ちを抱き、自由と平和に過ごせるよう誓願いたします。 Pare sandiṭṭhiparāmāsī ādhānagāhī duppaṭinissaggī bhavissanti, mayamettha asandiṭṭhiparāmāsī anādhānagāhī suppaṭinissaggī bhavissāmāti sallekho karaṇīyo.(Sallekha suttaṃ) パレー サンディッティパラーマースィー アーダーナガーヒー ドゥッパティニッサッギー バヴィッサンティ マヤメッタ アサンディッティパラーマースィー アナーダーナガーヒー スッパティニッサッギー バヴィッサーマーティ サッレーコー カラニーヨー 他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、 捨てられないでいるが、 我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、 簡単に捨てられるようにと戒めましょう。(「戒め」経より) 皆様が健康で安穏に過ごせますように 仏法僧のご加護がありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように #jtba #仏教 #新年 #2025年 #令和7年 #謹賀新年 #正月 #NewYear #newyear2025
4週間 ago
View on Instagram |
8/10
仏教コラム「智慧の扉」を紹介
#jtba #仏教 #世間 #波 #世の常 #スマナサーラ長老

《押し寄せる八つの波》

 この世の中では、常に八つの現象が回転しています。これを波に譬えてみます。荒波・津波に持ち堪えられれば人生は大丈夫でしょう。常に起こっている八種類の波とは、『①得、②損、③名誉、④不名誉、⑤賞賛、⑥非難、⑦楽(幸・成功)⑧苦(不幸・失敗)』【八世間法】です。

 ①と②は損得です。③は、自分の努力によって認められ褒められること。④は逆に認められないこと。⑤は自分の努力にかかわらず社会が勝手に褒めること。⑥は社会が勝手に非難すること。⑦と⑧は文字通りの意味です。この 8つが、ずっと回転しているのです。人間は、なにかしらの波に晒されています。
 
 この波に流される弱い人間だったら、人生を前に進める暇がありません。なぜなら、ひとつの波が過ぎたら、次の波が来て、また次の波が来るからです。しかも、八つの波は順番に来るわけではありません。ですから、波が押し寄せても、ただ立っているしかないのです。「別に、なんてことない」という感じで。

 例えば、「誰かがあなたのことを褒めていますよ」と言われても、「ああそう、まあ別に。人が勝手に言っていることだから」と平然といる。また「誰かがあなたのことを無茶苦茶に非難していますよ」と聞いても、「そうですか、まあそれはその人の考えですからね」と、それで終わりにする。
 
 あるいは、仕事が上手くいって相当な得をする。「世界経済が好調で、今この商品に人気があるから売れているだけで」と舞い上がらない。それで、その品物が売れなくなって損したら、「もうこれは時代遅れですから、他の商品を開発しないとね」それで終わり。いちいち嘆いたり、悲しんだりはしません。いつでも押し寄せる波を乗りこなし立っているのです。
 
 これら八種類の波に対して「当たり前のこと」「世の常」であると耐える能力を育て、身に付けるのです。「生きる」とは、赤絨毯の上を歩くような晴れやかな道のりではないと、しっかりと理解するのです。波は様々に、回転して押し寄せてきます。その中で人生を持ち堪えなければいけないのです。
 
 この八つの波を、憂い・悲しみ・落ち込みの原因にしてはいけません。私たちは「損をせず、得だけしたい」と思っているので、この真理を認めたくないのです。しかし、現実的に次から次へと押し寄せてくる荒波を「当たり前のこと」と認めることが心の成長なのです。

https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira102/
仏教コラム「智慧の扉」を紹介 #jtba #仏教 #世間 #波 #世の常 #スマナサーラ長老 《押し寄せる八つの波》  この世の中では、常に八つの現象が回転しています。これを波に譬えてみます。荒波・津波に持ち堪えられれば人生は大丈夫でしょう。常に起こっている八種類の波とは、『①得、②損、③名誉、④不名誉、⑤賞賛、⑥非難、⑦楽(幸・成功)⑧苦(不幸・失敗)』【八世間法】です。  ①と②は損得です。③は、自分の努力によって認められ褒められること。④は逆に認められないこと。⑤は自分の努力にかかわらず社会が勝手に褒めること。⑥は社会が勝手に非難すること。⑦と⑧は文字通りの意味です。この 8つが、ずっと回転しているのです。人間は、なにかしらの波に晒されています。    この波に流される弱い人間だったら、人生を前に進める暇がありません。なぜなら、ひとつの波が過ぎたら、次の波が来て、また次の波が来るからです。しかも、八つの波は順番に来るわけではありません。ですから、波が押し寄せても、ただ立っているしかないのです。「別に、なんてことない」という感じで。  例えば、「誰かがあなたのことを褒めていますよ」と言われても、「ああそう、まあ別に。人が勝手に言っていることだから」と平然といる。また「誰かがあなたのことを無茶苦茶に非難していますよ」と聞いても、「そうですか、まあそれはその人の考えですからね」と、それで終わりにする。    あるいは、仕事が上手くいって相当な得をする。「世界経済が好調で、今この商品に人気があるから売れているだけで」と舞い上がらない。それで、その品物が売れなくなって損したら、「もうこれは時代遅れですから、他の商品を開発しないとね」それで終わり。いちいち嘆いたり、悲しんだりはしません。いつでも押し寄せる波を乗りこなし立っているのです。    これら八種類の波に対して「当たり前のこと」「世の常」であると耐える能力を育て、身に付けるのです。「生きる」とは、赤絨毯の上を歩くような晴れやかな道のりではないと、しっかりと理解するのです。波は様々に、回転して押し寄せてきます。その中で人生を持ち堪えなければいけないのです。    この八つの波を、憂い・悲しみ・落ち込みの原因にしてはいけません。私たちは「損をせず、得だけしたい」と思っているので、この真理を認めたくないのです。しかし、現実的に次から次へと押し寄せてくる荒波を「当たり前のこと」と認めることが心の成長なのです。 https://j-theravada.com/dhamma/chienotobira/tobira102/
4週間 ago
View on Instagram |
9/10
根本仏教講義
《出口のない迷路》※一部抜粋
#jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #人生 #迷路 #虚しい #dukkha 

人生という迷路のなかで、私たちはどの方向に行っても壁にぶつかります。もしこの迷路に出口がなかったらどうなるでしょうか?

やがて疲れ果てて倒れてしまうでしょう。人間の生き方というのは、出口のない迷路のなかですごく勇気をもって頑張っているようなものです。頑張ってはいますが、そもそも出口がありませんから、途中で力尽きて倒れてしまうのです。

そこで、だいたいの人はこの出口のない迷路のなかで「怠けてはいけません。何か探しましょう」と必死に頑張っています。他方、全然頑張ろうとしない人もいるのです。

迷路に入ると、こちらに行っても壁があり、あちらに行っても壁があり、どこへ行っても壁にぶつかります。それで「いいや、どこにも行かずにここで座っていよう」と探検をやめ、その場で横になって寝るのです。

さて、どちらが優れていると言えるでしょうか? この状況をどのように評価すればよいのでしょうか?

何もしないで怠けて寝ているよりは頑張ったほうがいいのではないか、と言えないわけでもありませんが、だからといって必死に頑張っても、結局何も得ることはできません。頑張った人は疲れ果てて死にますし、何もしない人は何もしないで横になったまま死にます。

そうすると、何もしない人のほうが楽をしたぶん儲かったのではないか、と考えることもできるでしょう。逆に、頑張った人は怠けずにとにかくチャレンジしたからすごい、とも言えるでしょう。しかし、どちらにしても結局二人とも途中で死ぬのです。出口がないのだから…

https://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-155/
根本仏教講義 《出口のない迷路》※一部抜粋 #jtba #仏教 #スマナサーラ長老 #人生 #迷路 #虚しい #dukkha 人生という迷路のなかで、私たちはどの方向に行っても壁にぶつかります。もしこの迷路に出口がなかったらどうなるでしょうか? やがて疲れ果てて倒れてしまうでしょう。人間の生き方というのは、出口のない迷路のなかですごく勇気をもって頑張っているようなものです。頑張ってはいますが、そもそも出口がありませんから、途中で力尽きて倒れてしまうのです。 そこで、だいたいの人はこの出口のない迷路のなかで「怠けてはいけません。何か探しましょう」と必死に頑張っています。他方、全然頑張ろうとしない人もいるのです。 迷路に入ると、こちらに行っても壁があり、あちらに行っても壁があり、どこへ行っても壁にぶつかります。それで「いいや、どこにも行かずにここで座っていよう」と探検をやめ、その場で横になって寝るのです。 さて、どちらが優れていると言えるでしょうか? この状況をどのように評価すればよいのでしょうか? 何もしないで怠けて寝ているよりは頑張ったほうがいいのではないか、と言えないわけでもありませんが、だからといって必死に頑張っても、結局何も得ることはできません。頑張った人は疲れ果てて死にますし、何もしない人は何もしないで横になったまま死にます。 そうすると、何もしない人のほうが楽をしたぶん儲かったのではないか、と考えることもできるでしょう。逆に、頑張った人は怠けずにとにかくチャレンジしたからすごい、とも言えるでしょう。しかし、どちらにしても結局二人とも途中で死ぬのです。出口がないのだから… https://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-155/
1か月 ago
View on Instagram |
10/10

コメント

コメントする