2024年11月30日(土)~12月6日(金)にネット中継瞑想会が行われます。詳細はこのお知らせバーをクリックください。

レポート公開|11月23日(土)関西ダンマサークル「zoom読書会」

11/23関西ダンマサークル「読書会」レポート(要約と感想)を送ります。よければ読んでみてください。各自修行の参考になれば幸いです。参加者は12名でした。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

▼11/23関西ダンマサークル「読書会」レポート
・最初に参加者で慈悲の瞑想を行いました。
・経典解説「沙門果経」の6回目
・第三部【心の戒律‐感官の防御】【ヴィパッサナー瞑想‐念と正知】を読みました。
・テキストは経典解説シリーズ「沙門果経」ページ 200~218
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0BTPHTS9B/jtheravada-22/

・今回の内容は、瞑想実践に直結する内容でした。
・心の戒律である感官の防護について
・一般的な戒律に対するイメージは、「生き方を制御する規則」ということ
・本来は煩悩を減らすための戒律、心が汚れないようにすること
・「比丘は、眼によって色を見る場合、その外相を捉えることもなく、その細相を捉えることもありません」
・眼を通して入ってくる情報を色(いろ・かたち)という
・修行としては、見たものに対して「美人だ」「可愛い」「●●が美しい」「●●は醜い」とか「足が細い」「笑顔がステキ」「服装がダサい」など概念的な分析や判断をしない
・「この眼の感覚を防護しないで住むならば、もろもろの悪しき不善の法が、貪欲として憂いとして、流れ込むことになります」
・眼から入る情報を制御することで、心が貪瞋癡で汚れないようにする
・感覚器官は6つ:眼耳鼻舌身意
・情報を野放しにすると、心がどこまで汚れるかわからない
・外の世界ではなく、自分の眼を防護・コントロールする
・外の世界は管理できない、入ってくる色という情報を完璧にコントロールすることは不可能
・外の世界と戦う必要はなく、自分の眼をガードする・守る
・基本的には欲と怒りが出てこないように、入ってきた情報に注意深く気づいている
・音や声を音・声のままで留められるよう気づきの訓練をする

・意識(意根)には概念(法)が触れる
・意識の管理は難しい
・意識では、過去・現在・未来の概念が識られる。存在する概念(現実)も、存在しない概念(妄想)も識られる。

・「かれは、この聖なる感覚器官の防護をそなえ、内に、汚れのない楽を感知します」
・「聖なる」という単語がポイント
・感覚器官をガードすることで、俗世間にはない楽しみ(安らぎ)を得ることができる
・一般的には、情報という刺激を楽しむ、あるいは刺激から得る感受(苦・楽)を楽しむ
・情報から得る楽しみは、物質に依存した楽しみ
・物質に依存した楽しみには、苦労・短所が多い上に長持ちしない
・感覚器官の防護し、心が汚れないことで得られる楽しみで心は安定する
・離れること、情報を握りしめないこと、気持ち良い情報も苦しい情報も両方とも手放す
・手放すことで楽を感じられる、落ち着いていられる、副作用がない、高度な楽
・これらが「聖なる感官の防護」という心の戒律(瞑想修行ですね)

・心が落ち着いたところで、次に正念と正知の実践をする
・ヴィパッサナー瞑想は、正念と正知の実践
・正念はsammā sati
・正知はsampajañña
・正念と正知こそが、超越した境地(解脱)に達するためのアクセスポイント
・心の戒律は受動的な実践、正念と正知は能動的な実践
・正念と正知によって、「生きる」ことを発見する
・坐ったり立ったり歩いたり、呼吸する食べる大小便をする、手足を動かす、生きる行為のすべてを正念と正知で観察する
・観察とは、正しいデータを取得すること

・正しいデータとは、主観的なデータではない
・主観/感情/希望を捨てて観察する
・概念によって真理に到達することは不可能
・「ありのままに知る」こと
・情報を捏造しないで知ること(思考を止める)
・言葉という道具を使って捏造機能を阻害する
・実況中継すること
・行為について言葉が見つからない場合もある、その時は「感じる、感じる、感じる」でOK

・「感じる」というのは、感受でもある
・感受とは、苦/楽/不苦不楽の三つ
・感受から因果法則や無常の真理も発見することができる
・覚りに達する道順である
以上

 今回のテキストは、修行に直結する内容です。何度も読み直し、基本に立ち返り実践するべきポイントだと思いました。瞑想とは何をしているのか? いわゆる観察とは、正念と正知によって心が汚れないようにガードすること、同時に正しいデータを取得する(ありのままに知る)こと。これを実行しているわけですね。正念と正知がなければ、認識は捏造機能が働き、知ることは主観となる。主観は正しいデータではないので、いくらデータ採取したところで間違えた結論へしか導かない。であるから、考える・妄想する機能を何とかして阻害し・ブロックする。そのための道具として、言葉を使う・実況中継する必要があると理解しています。ヴィパッサナー瞑想はシンプルですが、奥深いですね。各自、修行に励みましょう!

次回、関西ダンマサークルは12月21日(土)13時からの予定です。参加希望の方は、mayadevi@zeus.eonet.ne.jp までメールにてご連絡ください。参加URLをお知らせします。

●参考テキスト
施本文庫「お釈迦様のお見舞い」気づきと正知による覚りへの道 
https://j-theravada.com/dhamma/sehonbunko/osyakasamanoomimai/2/

「Sati(念)と Sampajañña(正知)」藤本晃
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/66/2/66_899/_pdf

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