8/10(土)にありました関西ダンマサークル「みんなでダンマ・ディスカッション」自主勉強会のレポート(個人の要約と感想)をお送りします。今回、はじめての参加者も4名ほどあり、計15名の方が参加されました。皆さん休日のご参加、ありがとうございました。皆さんと仏教について楽しく話をすることができ良かったです。
▼8/10関西ダンマサークル「みんなでダンマ・ディスカッション」レポート
・はじめに参加者全員で慈悲の瞑想を行いました。
・今回のテキストは「ブッダに学ぶほんとうの禅語」(出版アルタープレス)スマナサーラ長老
・四つの禅語(公案)の解説を読みました。
①百尺竿頭須進歩【ひゃくしゃくかんとうすべからくほをすすむべし】『無門関』第四十六則
②隻手音声【せきしゅおんじょう】白隠慧鶴
③狗子佛性【くしぶっしょう】『無門関』第一則
④東山水上行【とうざんすいじょうこう】『雲門広録』
①百尺竿頭須進歩【ひゃくしゃくかんとうすべからくほをすすむべし】『無門関』第四十六則
・意味:約30メートルある竿の先端からさらに歩を進めて、あらゆる世界に全身を現さなければならない
・理解:一切の執着を捨てなさい、なにものにも依存しない
・修行(気づき)によって「自分(自我の錯覚)」を捨てなくてはいけない
・悩み苦しみを感じるとき、常に「自分」が障碍になっている
②隻手音声【せきしゅおんじょう】白隠慧鶴
・意味:両手の手のひらを打てば音がするが、打たないと片手にはどんなおとがするか
・理解:音が鳴らないことに「音」という、無(空性)を教えている
・すべての物事は因縁によって成り立っている
・音には実体がない
・物体と物体がぶつかると、空気の振動が発生し、その振動を耳が感知して音だと知る
・どこかに音があったのではなく、音が現象として発生した
・すべての現象はあるのではなく、因縁により一時的に発生しているだけ
・因縁(原因と条件)がなくなれば、現象も消えてしまう、あるいは変化する
③狗子佛性【くしぶっしょう】『無門関』第一則
・意味:ある僧が趙州和尚(唐の禅僧)に向かって「子犬にも仏性がありますか」と尋ねた。すると、趙州は「無」と答えた
・理解:悟りの世界に言葉をかけることほどアホなことはない、固定概念を壊さないといけない
・「本来、皆悟っている」とか、そんな概念はあり得ない
・公案というのは、言葉という頭の中だけの固定概念(かぶりもの)を破り自由になるための練習だと理解しました
・固定概念に気づき自由になることは、仏道に繋がる
・固定概念に引っかかり苦しんでいる愚かさに気づく
④東山水上行【とうざんすいじょうこう】『雲門広録』
・意味:「諸仏の悟りの境地とは、どのようなものでしょうか」、師である雲門文偃(唐の禅僧)はこう答えた。「東の山が水上を流れてゆく」
・理解:真理は俗世間の見方と反対、認識があべこへ
・仏道は流れに逆らう道だと理解しました
・東山水上行のイメージ「淀川の水面に富士山が流れていく」※そんなことはあり得ない
・仏教は「私はいない(無我)」であると説く、しかし世間は「私がいる(魂がある)」と思っている
・世間は幻想や夢を追っているようなもの
・真理の世界は現実を目の当たりにする
・自己観察すれば、瞬間瞬間に流れていく認識の過程があるだけだと発見する
・そこに「わたし」という固定した実体や自我意識は存在しない
感想
今回学んだ「禅語(公案)」というのも、面白いなと思いました。長老の解説によって理解できたので、わかったつもりになってはいけませんが、概念(言葉)にとらわれていることに気づかされることが多々ありました。言葉を聞くと「それがある」と認識は反応してしまいます。すぐに固定され、価値が生れ、執着となっていく感じかと思います。たとえば「あなたに一万円あげます」と聞くと、それなりのイメージ(概念)が湧いてきます。「あなたはアホですね」「あなたは太っていますね」「あなたは老けてますね」「あなたはカワイイですね」と言われたら、何かしらの感情が沸き上がってくると思います。その時、すでに概念にとらわれてしまっているようです。たとえば親しい人に「瞑想しているのに、全然進歩がないみたい」「瞑想なんかして何の役に立ってるの」などと言われたら(自己否定されたら)激怒するか情けなくなるか、どちらにしてもそんな反応では概念にしてやられてしまっていることは明らかですね。
仏道は「目覚める」ための教えでもあるので、幻想・妄想にどっぷり浸っている認識から、それらに気づいて現実・事実を観て(無常・苦・無我を体験し)、執着しないこと(無執着・遠離)を目的とするものだと再確認しました。
おわり
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