2024/9/14(土)に初心者指導有りの関西月例冥想会が行われます。詳細は下記お知らせバーをクリックください。

レポート公開|1/21(日)関西ダンマサークル「zoom読書会」レポート➀

今回のテキストは長部経典 第二「沙門果経」スマナサーラ長老の解説本です。経典としてのメインテーマは、仏道の実践に結果はあるのか?仏教を学ぶことで何が得られるのか?(本当に意味があるの?)ということです。これはすごく大事内容と思います。具体的には後々、レポート②で述べたいと思います。

 それで、メインテーマとは別にサブテーマと言いますか、伏線があります。これもすごく面白いと思いました。この経典はマガタ国のアジャータサットゥ王(阿闍世、Ajātasattu)とお釈迦様との対話です。このアジャータサットゥ王は仏弟子のデーヴァダッタ(提婆達多)に唆されて、父でありお釈迦様とも大変親しかったビンビサーラ王(頻婆娑羅、Bimbisāra)を殺害してしまいます。自分の父親を殺してしまった後悔と懺悔を窺わせる場面がいくつか出てきます。その後悔は、アジャータサットゥ王が自分の子どもを持ったことから感じたようです。いわゆる父性愛(母性愛)です。伝説的な内容ですが、そのことが記載されている註釈書の日本語訳がありました。自分の子どもを持つことで、父親の愛情を知り、自分が犯した取返しのつかない過ちに苦労し後悔する。そして、その後悔をなくす方法はないのかと、いろいろと教えに触れていく。しかし、見つからない。そこでお釈迦様と出会い対話することで、はじめて心が晴れ懺悔することができた。そんなような感動的なストーリがあると感じました。

 経典の冒頭部分にも、アジャータサットゥ王が我が子に思いを馳せる場面があり、お釈迦様はそれを察知して、言葉をかけます。その短いやりとりは、僕にはすごく感動的でした。亡き父の代わりをお釈迦様が務めているような感じがしました。それから、その場面の前にアジャータサットゥ王がお釈迦様がいる森に行くところでも、王様の不安・疑心暗鬼・猜疑心など、心に穏やかさや落ち着きがない様子も窺えたりします。経典の冒頭文と註釈書の部分を添付しますので、興味のある方は読んでみてください。

▼参考テキスト
「パーリ仏典における阿闍世王」【畑 昌利】
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpbs/26/0/26_KJ00008548376/_pdf/-char/ja
「初期仏典における懺悔の諸相」【畑 昌利】
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpbs/25/0/25_KJ00007953983/_pdf/-char/ja
「Pali「沙門果経」と阿闍世王」【畑 昌利】
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpbs/24/0/24_KJ00007115543/_pdf/-char/ja

余談ですが、ビンビサーラ王は竹林精舎(Venuvana-vihāra)を寄進した人です。またお釈迦様が覚る前に王様と出会い、「あなたが覚ったら教えてほしい」と約束していたぐらい信頼関係があったようです。

wikipedia ビンビサーラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9
アショカツアーズ 竹林精舎 仏教史上最古の寺院
https://ashokatours.com/blog/buddha/228/

▼1/21(日)関西ダンマサークル「zoom読書会」レポート➀
・参加者20名
・はじめに皆さんで慈悲の瞑想をしました。
・テキスト 経典解説シリーズ「沙門果経」※電子書籍あり
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0BTPHTS9B/jtheravada-22/
・以下、要約と感想を書きます。

・今回、紹介したかったのは「仏陀の九徳(Buddha Vandanā)」です。
・経典の中でも出てくるのですが、当時のお釈迦様の評判が書かれています。
・読経でいつも唱えているフレーズです。※資料添付

Iti pi so bhagavā Arahaṃ Sammā sambuddho
Vijjā-caraṇa sampanno Sugato Lokavidū
Anuttaro purisa damma sārathi
Satthā deva manussānaṃ Buddho Bhagavā ti.

➀arahaṃ(阿羅漢)一切煩悩の滅尽者
・完全な境地に至った人
・普通は「私は阿羅漢だ」とは公言しない
・お釈迦様は正々堂々と「阿羅漢である」と公言した
・これはとんでもない挑戦
・他者が調べにくる、質問しにくる
・それを受けて立つ必要がある
・お釈迦様には不動の確信があった

②sammā sambuddho(正自覚者)最初に覚って、他の人にやり方を教えられる
・人類の中で、自分の力で完全な覚りに達した初めての人
・覚りに達する方法を誰にも教えてもらわずに、自ら試行錯誤して覚りに至る道・方法を見つけた

③Vijjā-caraṇa-sampanno(明行足/明行具足者)八種の智慧と十五種の行「性格に関する徳」が備わっている
・明が智慧、行が性格の意味
・智慧も性格も完成している(満ち足りている)
・完璧な人間であるという証
・世間では、頭はよくても性格が悪い人、性格はよくても頭が悪い人はいる。両方は揃っていない。
・行は性格というより、瞑想の力という意味
・瞑想の達人で、あらゆる精神的な能力を持っていた人

④Sugato(善逝)正しく涅槃に達し正しく善い言葉を語る
・自分の仕事を完成させた人
・修行を完全に卒業した人

⑤Lokavidū(世間解)宇宙・衆生・諸行という三世界を知り尽くしている
・世間というのは生命のこと、生命の抱えている問題を解いてしまった人
・「なぜ生まれてきたのか?」「私とは何か?」「命とはなにか?」「死後どうなるか?」をすべて解き明かした
・すべてを知っている人

⑥Anuttaro purisa damma sārathi(無上の調御丈夫)人々を指導できるこの上ない能力者
・人類の中のリーダー
・人類の心を直す調教師
・この上の無い優れた先生
・厳しい先生
・生命を心配する先生

⑦Satthā deva manussānaṃ(天人師)人間や神々などいっさい衆生の師
・人類だけではなく、天人や神々の先生でもある

⑧Buddho(覚者)ブッダ
・智慧の完成者

⑨Bhagavā(世尊)すべての福徳を備えた方
・徳の高い人
・尊敬に値する人
以上

 「沙門果経」の内容で六師外道の興味深い話は、また時間があればレポート②として書いてみます。バタバタしていて時間がないので、そのまま書けないかもしれませんが、その時はどなたか書いてみてください。六師外道が価値のない邪見を流布していただけではなく、その当時の人々の苦しみを取り除こうとして現れて思考だったのではないかという、そのような視点で長老は解説されています。なるほどな!と感心させられました。お楽しみに!

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